【戌集中】【隹部】雉。康煕筆画 13、頁碼 1365 第 24。古文。『唐韻』『集韻』直几切、『韻会』『正韻』丈几切、音は薙に同じ。『説文』に「雉には十四種あり」とある。『爾雅・釈鳥』に「鷂雉・鷦雉・鳪雉・鷩雉・秩秩・海雉・鸐・山雉・雗雉・鵫雉。雉にして絶えて力あるを奮と曰う。伊洛より南は、素質にして五彩みな備り成章なるを翚と曰う。江淮より南は、青質にして五彩みな備り成章なるを鷂と曰う。南方を

と曰い、東方を鶅と曰い、北方を鵗と曰い、西方を鷷と曰う」とある。【疏】各種の雉の名を区別す。『易・説卦』に「離卦は雉を象る」とある。『周礼・春官・大宗伯』に「六種の贄あり、士は雉を用う」とある。『公羊伝・襄公二十七年』に「雉をかくのごとく軽んず」とある。また『爾雅・釈鳥』に「鵽鳩、雉なり」とあり、【注】に「雉はまた鵽鳩ともいう」とある。また『晏子・問篇』に「鄒・滕は野鶏の奔逃がごとくその地を去りながら、なお公侯を称す」とある。また『晋語』に「新城の宗廟にて自ら縊す」とあり、【注】に「雉経とは、頭を地につけて懸かりて死するなり」とある。また『周礼・冬官考工記・匠人』に「王宮の門屋の脊の制は五雉、宮牆の隅の制は七雉、城牆の隅の制は九雉」とあり、【注】に「雉は長さ三丈、高さ一丈」とある。『左伝・隠公元年』に「都邑の城牆は百雉を超えるべからず」とあり、【注】に「方一丈を堵と曰い、三堵を雉と曰う。一雉の牆は長さ三丈、高さ一丈なり。侯伯の城は方五里、径三百雉なれば、その大城は百雉を超えず」とある。『管子・海王篇』に「台榭城牆の税を徴せんと欲す」とある。また『春秋・定公二年』に「雉門及び両観火災す」とあり、【注】に「雉門は諸侯宮室の南門なり」とある。また『揚雄・甘泉賦』に「草木叢生之地に新雉を植う」とあり、【注】に「服虔曰く、新雉は香草の一種なり」とある。また『爾雅・釈詁』に「雉、是なり」とあり、【注】に「義詳らかならず」とある。また『揚子・方言』に「雉は治むるの義なり」とある。また『韻会』に「姓なり。殷の後裔に雉氏あり」とある。また『前漢書・高后紀注』に「荀悦曰く、雉の字を諱みて之を野鶏と称す。師古曰く、呂后の名は雉なれば、臣下雉の字を諱む」とあり、『韻会』に「漢人これを諱みて雉を野鶏と称す」とある。また『集韻』に「序切、音某。本として某に作る。詳しくは字注を見るべし」とある。また『集韻』に「演爾切、音酏。県名なり。『前漢書・地理志』に江夏郡下雉県あり。【注】雉は羊氏の反。また南陽郡雉県あり。【注】弋爾反」とある。また『集韻』に「口駭切、音楷。桂林の人、人の矮小なるを矲雉と謂い、或いは某と書く」とある。また「直利切、音稚。野鶏なり」。考証:『説文』「東方を鶹と曰う」は、原文に謹んで照らせば「鶹」を「鶅」に改むべし。『前漢書・高后紀注』「荀悦曰く、雉の字を諱みて野鶏」とあるは、原文に謹んで照らせば「野鶏」の上に「曰」の字を増すべし。