康熙字典解説
康熙字典の原典を見る(第 1239 ページ)
【酉集下】【車部】車;康煕筆画:7;頁碼:1239 頁 01 行
古文【広韻】九魚切【集韻】【韻会】【正韻】斤於切、音は居。
【広韻】車とは輅車(一種の大車)のこと。
【古史考】黄帝が車を製造し、重物を遠方に運ぶのに用いた。少昊の時代に牛を引かせて禹の時に奚仲が車正(車を掌る官)となり、馬を引かせた。
【書・舜典】車馬と服飾をもって功労に報いる。
【易・大有】大車をもって載せる。
【論語疏】大車とは牛車のことで、平地にて貨物を載せる車である。小車とは四頭の馬が引く車で、田猟に用いる車、戦いに用いる兵車、および日常乗用の車を含む。
また山車あり、これは自然に成った車である。
【礼・礼運】山中に器物と車両が現れる。
【疏】これは政治が極めて太平であることを言い、山車は鉤を垂らし、加工整治を経ずして自然に曲がるものである。
また巾車あり、これは官職名である。
【周礼・春官】巾車は公家の車両に関する政令を掌る。
【注】巾は衣服のごときもの。巾車は車官の長であり、車両にはすべて外罩があって装飾となるゆえ、この名がある。
また公車あり、これは官署の名である。
【後漢書・光武帝紀】詔して公卿・司隷・州牧に賢良方正各一人を挙げさせ、公車(官署)に送らしむ。
【注】公車令一人いて宮殿の司馬門を掌る。天下の人々の上書および皇帝の徴召は、みなこれにより総管される。公車令の官署がそこに在るゆえ、これを以て名とする。
また掲車あり、これは香草の名である。
【屈原・離騒】留夷と掲車を一畦ごとに植う。
【注】留夷と掲車はみな香草なり。
また覆車あり、これは網の名である。
【爾雅・釈器】罦すなわち覆車なり。
【注】すなわち今の翻車にして、二つの轅桿あり、中に羅網を張って鳥を捕らえる。
また【広韻】【集韻】【韻会】【正韻】昌遮切、音は硨。
【説文】車廂と車輪の総称なり。
また牙車あり、これは歯床の依拠するところなり。
【左伝・僖公五年】頬と歯床は互いに依存す。
【注】輔は頬なり。車は歯床なり。
【疏】車とは下顎骨の名なり。時に頷車ともいう。頬は外なる部分、歯床は内なる骨なれば、互いに依存すという。
また姓あり。漢の丞相田千秋は年老いたるゆえ、小車に乗じて宮禁に入り出づることを得たり。当時の人々これを車丞相と称す。その子孫これにより「車」を姓と為す。
また子車は複姓なり。
【詩・秦風】子車仲行。
また倉何切に叶い、音は磋。
【程暁・伏日詩】一生のうち三伏の日々は、道路上に行驶する車なし。門を閉じて臥し暑を避け、出入りしても互いに訪問せず。
また hng は多くの車の発する音なり。