【丑集上】【口部】単。康煕筆画:12。頁碼:頁 200 第 25。『唐韻』都寒切。『集韻』『韻会』多寒切。音は「丹」に同じ。『説文』に「大なり」とある。また『書・洛誥』に「乃ち単に文祖の徳を尽くす」とあり、『伝』に「単は尽くるなり」とある。『詩・小雅』に「爾をして単厚ならしむ」とあり、『箋』に「単は尽くるなり」とある。『礼・郊特牲』に「惟社事の為に里を出でて単なるべし」とあり、『鄭語』に「夏禹能く水土を単平す」とあり、『晋語』に「善を単にして内に之を辱しむ」とある。また『揚雄・甘泉賦』に「埢垣を単にす」とあり、『注』に「単は周遍するなり」とある。また県名なり。『前漢・地理志』に牂牁郡に母単県あり。また『広韻』に単復(一層と多層)を指す。『正字通』に「単は復の反なり」とあり、『杜甫の詩』に「歳暮に衣裳単なり」とある。また『玉篇』に「一なり」、或いは「只なり」とある。『詩・大雅』に「其の軍三単」とあり、『箋』に「大国の制、三軍の外餘兵を羨(予備)とし、単軍は則ち予備の兵無し」とある。『礼・礼器』に「鬼神の祭は単席」とあり、『史記・信陵君伝』に「今單車来りて之に代わる」とあり、『後漢書・耿恭伝』に「単兵を以て孤城を固守す」とあり、また『高彪伝』に「家に伝へて単寒たり」とある。また姓なり。『広韻』に可単氏、後に単氏と改む。また『集韻』に唐干切、音は「壇」に同じ。また姓なり。鄭に櫟邑大夫の単伯あり。「檀」に通ず。また『広韻』に市連切、『集韻』『韻会』に時連切、音は「蝉」に同じ。『広韻』に「単于」を指す。『前漢・匈奴伝』に「単于」とは広大なる貌なり。天に象るを言う。単于即ち是のごとし。また『爾雅・釈天』に太歳卯年を「単閼」と称す。『釈文』に「単」の音は「蝉」、また「丹」、或いは「善」と読む。また『広韻』『韻会』に常演切、『集韻』『正韻』に上演切、音は「善」に同じ。『玉篇』に「大なり」とある。また県名なり。『前漢・地理志』に山陽郡に単父県あり。『注』に師古曰く、音は「善甫」と読む。また姓なり。『広韻』に単襄公の後裔なり。『史記・儒林伝』に「桓生单次す」とあり、『注』に「単」の音は「善」、姓は単、名は次とある。また人名なり。『書序』に「咎単明居を作る」とあり、『伝』に「咎単は臣の名にして土を掌る官なり」とあり、『注』に「単」の音は「善」とある。また『集韻』に歯善切、音は「闡」に同じ。「嘽」と同じ。詳しくは後出の「嘽」字の注に見ゆ。また『集韻』に党旱切、『正韻』に多簡切、音は「狚」に同じ。『集韻』に本は「亶」を作り、穀物の多きを言う。一説に「誠」、或いは「厚」を言う。『書・洛誥』に「乃ち単に文祖の徳を尽くす」とあり、『釈文』に「単」の音は「丹」、また丁但反と読み、「信」を意味すとある。『詩・小雅』に「爾をして単厚ならしむ」とあり、『伝』に「単は信なり」、或いは「厚なり」と言い、『釈文』に「単」は毛詩の注音は都但反、鄭玄の注音は丹とある。また『周頌』に「其の心を単にす」とあり、『伝』に「単は厚きなり」とあり、『釈文』に都但反とある。また「亶」に通ず。『史記・暦書』に「端蒙単閼二年」とあり、『注』に単閼は一作「亶安」とある。また『集韻』に徒案切、音は「憚」に同じ。「

」と同じ。「狐」は邑名なり。また『集韻』『正韻』に之膳切、音は「戦」に同じ。「単至」は軽率冒失なる貌なり。また『集韻』『韻会』に時戦切、音は「繕」に同じ。単父は邑名なり。また姓なり。考証:『揚雄・甘泉賦』に「単倦垣兮」とあるが、謹んで原文に照らし「倦」を「埢」に改む。