康熙字典解説
康熙字典の原典を見る(第 609 ページ)
【巳集上】【水部】沂;康熙画数 8;頁碼 609 頁 12 行。【唐韻】【集韻】【韻會】に「魚衣切」とあり、音は「溰」に同じ。河川名なり。【説文解字】に曰く、「沂水は東海費県に発す」。また一説に、「泰山に発し、古の青州の川に属す」という。【周礼・夏官・職方氏】に曰く、「青州、その川は沂・沭なり」。【水経注】に曰く、「沂水は下邳県にて北西に流れ、二派に分る。一は城の北より西南へ流れて泗水に入り、一は城東を経て屈曲し県南を流れ、亦た泗水に注ぐ。これを小沂水と称す」。水上に橋あり、徐州・泗水の間の人は之を「圮橋」と呼び、張良(字は子房)が黄石公に遇いし地、即ち此処なり。【地理通釈】に曽氏曰く、「徐州の間に『沂』と名づく川、一つにあらず」。酈道元曰く、「尼丘山に発し、西北へ流れて魯の雩門に至るを沂水と称す」。また「泰山武陽の冠石山に発する川も亦た沂水と称す」。また山名なり。四鎮の一なり。【周礼・春官・大司楽】に曰く、「四鎮五岳」。【注】に青州の沂山なり。また地名なり。【左伝・定公五年】に曰く、「沂において夫概王を大いに破る」。【注】に「沂は楚の地なり」。また州名なり。本は秦の琅邪郡の地にして、南朝宋に北徐州を置き、北周に沂州と改む。今では兗州府に属す。また沂水県あり、県名なり。本は春秋の鄆邑にして、今では青州府に属す。皆【広輿記】に見える。また姓なり。【一統志】に沭陽県令に沂州なる者ありと記す。また【集韻】【正韻】に「魚巾切」とあり、音は「銀」に同じ。器物の稜角を指す。「釿」は時に「沂」と書く。【爾雅・釈楽】に「大なる篪(竹製の楽器)を沂と称す」とあり。また【杜篤・論都賦】に「帚のごとき光を揮い、項羽の軍を掃蕩し、以て人民の苦難を救い、泗水・沂水の間に滌濯す」とあり。【班固・答賓戯】に「張良、邳県の沂水のほとりにて兵書を受く」とあり。皆「魚巾切」と読む。考証:【周礼・夏官・職方氏】「青州、その川は沂・沐なり」。謹んで原書の「沐」を「沭」に改む。【爾雅・釈楽】「大なる箎を沂と称す」。謹んで原文の「箎」を「篪」に改む。