夷

発音I,TAIRAGERU KOROSU EBISU
五行
吉凶
画数6 画

基本情報

発音 I,TAIRAGERU KOROSU EBISU
五行
吉凶
部首
簡体画数 6 画
繁体画数 6 画

命名の意味

康熙字典解説

康熙字典の原典を見る(第 249 ページ)
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【丑集下】【大字部】夷;康熙画数:6;ページ番号:249 頁 15 行。古文。『唐韻』『広韻』は以脂切、『集韻』『韻会』『正韻』は延知切、音は姨。平らかなるなり、易(たやす)きなり。『詩・周頌』に「彼徂矣、岐に夷の行あり」。また大なるなり。『詩・周頌』に「福を下すこと孔(はなは)だ夷し」。また安んずるなり、悦ぶなり。『詩・鄭風』に「既に君子を見る、云胡(いかんぞ)夷せずや」。また等(ひと)しきなり、儕(ともがら)なり。『礼記・曲礼』に「丑夷に在りて争わず」。『史記・張良伝』に「諸将は陛下と等夷なり」。また也(これ)なり。『礼記・喪大記』に「男女尸を奉じて堂に夷す」。『周礼・天官・凌人』に「大喪に夷槃の氷を共(供)す」、床を夷床と曰い、衾を夷衾と曰う。皆尸に依りて言う。また夷俟とは、足を展べて箕坐するなり。『論語』に「原壌夷俟す」。また誅滅するなり。『前漢書・法志』に「戦国の時、秦商鞅を用いて連坐の法をなし、参夷の誅を造る」。また傷むなり。『易・序卦』に「故にこれを受けて明夷と為す」。また芟(かる)なり。『周礼・秋官』に「薙氏草を殺すことを掌り、夏日至りてこれを夷す」。また陵夷とは、凡そ事の始は盛んにして終は衰え、その頽替丘陵の漸く平らがるが如きを言う。『前漢書・成帝紀』に「帝王の道、日々に陵夷す」。また地名なり。『左伝・隠公元年』に「紀人夷を伐つ」。注に「国は城陽郡荘武県に在り」。『荘公十六年』に「晋の武公夷を伐つ」。注に「采地」。『僖公二十三年』に「楚伐り、遂に焦・夷を取る」。注に「焦は譙県、夷は城父、地なり」。また要服なり。『書経・禹貢』に「五百里は要服、三百里は夷」。また嵎夷とは、東表の地にして、今の登州に在り。『書経・堯典』に「嵎夷に宅す」。また馮夷とは河伯なり。『荘子・大宗師』に「馮夷これを得て、以大川に遊ぶ」。『郭璞・江賦』に「氷夷浪に倚る」。『穆天子伝』に「河伯無夷の都居する所」。注に「氷夷・無夷、すなわち馮夷なり」。また『淮南子・原道訓』に「馮夷は泰丙の御なり」。注に「二人の名、古え阴阳を御する能き者」。『容斎随筆』に「此れ別に一箇の馮夷あり」。また女夷とは風神の名なり。『淮南子・天文訓』に「女夷鼓吹して、以て天和を司る」。また山名なり。武夷は今崇安に在り、十二峰九曲の勝あり。伝え言う、銭鏗の子、長を武と曰い、次を夷と曰い、此に隠れて道を得たり、故に名づく。また水名なり。夷水は襄陽及び康狼の二山の間に出ず。『水経』に「漢水宜城を過ぐ、夷水これに注ぐ」。また鴟夷とは酒器なり。『揚雄・酒箴』に「鴟夷滑稽、腹壺の如く大なり」。『呉越春秋』に「呉王子胥の屍を取り、鴟夷に盛めて江に投ず」。『史記・貨殖伝』に「范蠡名を変じ姓を易え、鴟夷子皮と為す」。また辛夷とは花の名なり。『楚辞・九歌』に「辛夷の楣兮薬房」。また留夷とは香草なり。『屈原・離騒』に「畦に留夷と掲車を植う」。また『諡法』に「毅を克(よ)くし政を秉(と)り、心を安んじて静を好むを夷と曰う」。また姓なり。周・斉の大夫夷仲年の後なり。『統譜』に見ゆ。また人名なり。伯夷は舜の秩宗の官なり。また孤竹君の長子を伯夷と曰う。また優婆夷なり。『梵書・翻訳名義』に「男を優婆塞と曰い、女を優婆夷と曰う、所謂清浄の男女なり」。また彝と同じ。『孟子』に「詩に云う、民の夷を秉る」と。詩の本は彝に作る。また羊吏切に叶い、音は異なり。『馮衍・顕志賦』に「射干を攢め蘼蕪を雑えて兮、木英と新夷とを結ぶ。光扈扈として揚耀し兮、紛郁郁として暢美なり」。美は音媚なり。新夷すなわち辛夷なり。本は作す。一に曰く、古え遅夷通ず。考証:『易・説卦』に「坤上離下、明夷」と。謹んで按ずるに、説卦に此の語無し。謹んで原書に照らして改むるに、『易・序卦』に「故にこれを受けて明夷と為す」。『郭璞・江賦』に「氷夷浪に舞う」。謹んで原文に照らして舞を倚に改む。「伝え言う、銭の下堅の子、長を舞と曰い、次を夷と曰う」。謹んで『列仙伝』の原文に照らして下堅を鏗に改む。

康熙字典現代語版

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