【巳集上】【水部】汁;康煕筆画:6;頁碼:頁 604 第 03【唐韻】【韻會】は「之十切」、【集韻】【正韻】は「質入切」で、音は「執」に同じ。【説文解字】に「液なり」とある。【礼記・郊特牲】に「汁献涗于盞酒」と見え、注に「献は莎と読む」とあり、秬鬯という酒に鬱金を煮て盎斉を和し、手で揉み濾して香液を取り出すがゆえに「汁莎」という。また「啜汁」という語あり。【史記・魏世家】に門客曰く、「太子をして戦を鼓す者、羹を分たんと欲する者多し」とあり、注に「功を冀むる者衆きことを譬う」とある。また雨雪交りて降るを「汁」という。【礼記・月令】に「仲冬の月、秋の政を行えば、則ち天雨雪し、果蓏熟せず」と見える。また【集韻】に「檄頰切」、音「協」に同じ。協に通じ、和を意とする。【揚子・方言】に「函谷以東は協と称し、以西は汁と称す」とあり。【張衡・西京賦】に「五緯相汁し、以て東井に旅す」とあり。【左思・呉都賦】に「皆謡俗と汁協し、律呂相應ず」とあり、注に「汁協とは調和协调の義なり」とある。また【爾雅・釈天】に「太歳未に在るを協洽と謂う」とあり、【史記・暦書】は「汁洽」と作る。李巡の解に「陰陽化生し、万物和融するがゆえに協洽と名づく」とある。また緯書に「汁光紀」とあり、黒帝の名なり。【周礼注】に「黒は汁光紀に当り、顓頊帝これをもって食とす」とあり、「汁」の音は「葉」で、劉昌宗かく読む。また「子集切」とも注音す。また【集韻】に「実入切」、音「十」に同じ。「邡」は県名にして蜀地に在り。或本は「邑」部に従って「

」に作り、また「汁」とも作る。考証:【周礼注】に「黒は汁光紀に当り、顓頊帝これをもって食とす」とあり、「汁」の音は「葉」で、劉昌宗「子集切」と読む。また「即入切」とも注音す。謹んで按ずるに、『周礼』釈文に「汁」の音は「葉」で、劉昌宗の注音は「子集反」なり、「劉子集」を人名とするにあらず。故に「劉子集」を「劉昌宗」に改め、「即入切」を「子集切」に改む。