【未集上】【米部】粟;康煕筆画:12;頁碼:908 頁 14 行
古文【広韻】相玉切【集韻】【韻会】須玉切【正韻】蘇玉切、音は涑(そく)。【説文】嘉穀の実なり。【韻会小補】粟は陸種の首にして、米の甲ある者なり。【書・禹貢】四百里粟。【周礼・地官】旅師は野の鋤粟・屋粟・閑粟を聚むるを掌る。【注】鋤粟とは、民相助いて作し、一井之中に出づる、九夫の税粟なり。屋粟とは、民田有れど耕さず、罰して三夫の税粟を徴するなり。閑粟とは、閑民職事なき者が出づる、一夫の征粟なり。【爾雅・釈草注】秫は黏粟を謂ひ、穀に似て米黏し。北人これを用ゐて酒を醸す、その茎稈は禾に似て粗大なり。また地名。【穀梁伝・文公十年】蘇子と女粟に盟す。【前漢・地理志】左馮翊に属する県に粟邑あり。【注】莽曰く粟城。【水経注】睢水、また東へ径りて粟県に至る。また水名。【水経注】居庸県の故城は魏の上谷郡の治所にして、粟水これに在り。また官名。【史記・孝景本紀】治粟内史を更めて大農と命ず。また国名。【北史・魏明帝紀】大延元年八月、粟特国使いを遣はして朝貢す。また姓。袁紹の魏郡太守に粟挙あり。また沙を粟と謂ふ。【山海経】柜山に英水あり、中に丹粟多し。【注】細き丹沙粟のごときなり。また【広東新語】連山に八排の猺あり、自ら猺丁と称し、八百粟と曰ふ。また葉して思積切。【韓愈・進学解】月には俸銭を費やし、歳には廪粟を靡く。子は耕することを知らず、婦は織ることを知らず。本は「

」に作る。