康熙字典解説
康熙字典の原典を見る(第 336 ページ)
【寅集中】【巾部】幞;康煕筆画:18;頁碼:336 頁下段 20 行。『唐韻』に房玉切、『集韻』『韻会』に逢玉切とあり、音は「襆」に同じ。『説文解字』には頭巾と釈す。『集韻』には巾帕と釈す。『玉篇』には頭巾の一と釈す。『広韻』に曰く、幞頭は周の武帝が創製したるものなり。幅巾を裁ちて四角に分け、以って頭を包みたるにより名づく。『唐書・車服志』に曰く、幞頭は北周に起り、軍務の便を図らんがために設けられたり。『二儀実録』に曰く、古は三尺の黒き羅をもって頭を裹み、これを頭巾と称し、夏・商・周三代の人は皆冠を着けたり。官位ある者も庶民も黒絹をもって髪を裹めり。北周の武帝に至り、古の三尺の制に倣いて幞頭を裁成し、唐代の馬周これ交結して結びたり。『朱子語類』に曰く、唐人の幞頭は初め専ら紗をもって作れり。後に紗の軟なるを患い、木を削って山形の内張りを作り、前に置いて支えたり。『筆談』に曰く、梁の高祖始めて紗に漆を塗り、鉄製の骨を組み入れり。『宋史・輿服志』に曰く、幞頭はまた折上巾とも称し、北周に起る。然るに当時はただ軟帛をもって帯を垂らすのみなり。隋に至り桐木をもって骨架を作り、唐に至り羅をもって絲帛に代えたり。唯皇帝の着くる幞頭は帯を上に向け、臣下の着くるものは帯を下に垂らす。五代に至り漸く平直となりぬ。本朝(宋)の制は、君臣共に平直の帯をもつ幞頭を用い、皇帝時に帯を上に向くるものも着く。初めは藤を編みて草巾を内張りとし、紗を表となし、しかる後に漆を塗れり。後には専ら漆をもって固め、藤製の内張りを去り、前に一折りありて、平直に二帯を出だし、鉄をもって作る。また『集韻』に博木切とあり、音は「卜」に同じ。衣服の下擺より布幅の一部を裁ち落としたるを幞と謂う。時に「襆」とも書く。