康熙字典解説
康熙字典の原典を見る(第 238 ページ)
【丑集上】【土部】墨;康熙筆画:15;頁碼:238 頁 40 行。【唐韻】莫北切。【集韻】【韻会】【正韻】密北切。音は「默」。【説文】に「書をなす墨なり」とある。【西京雑記】に「漢の尚書令・僕射・丞郎には、毎月隃糜の墨を支給した」と見える。魏晋の時期には黍米を焼いて煙とし、松煙の灰と混ぜて製造した。唐の初年、高麗国は毎年松煙墨を貢進した。宋の熙寧年間、張遇が御用墨を献上し、初めて油煙に麝香を加えて「龍剤」と称した。【李堅・墨評】に「古来、李廷珪の墨を第一とし、張遇の墨これに次ぎ、兗州朗の墨またこれに次ぐ」とある。また【礼記・玉藻】に「卜人は亀甲を選び定め、史官は墨画を定む」とあり、注に「凡そ卜するには、必ず墨をもって亀甲に画し、しかる後に之に鑽り、灼きて其の坼くる所を観て吉凶を占う」とある。また長さの単位名。【小爾雅】に「五尺を一墨とし、二墨を一丈とする」とあり、【周語】に「一丈より一丈六尺に至るを超えず」と見える。また五刑の一にして、額に字を刺し、墨にて染むるをいう。【書経・伊訓】に「臣下、君の過ちを正さず」とあり、また哀傷の容をいう。【孟子】に「粥を啜るに顔色深く黒し」と見える。また気色晦暗なるをいう。【左伝・哀公十三年】に「晋の定公と呉王夫差、黄池に会盟す。司馬寅曰く、『高位にある者に晦暗の気色なし』」とある。また昏暗にして明ならざるをいう。【劉向・新序】に「師曠、晋の平公に対して曰く、『国家に昏暗あり。昏暗にして危亡せざる者は、未だ嘗て有らず』」とある。また墨灰をいう。【西京雑記】に「漢の武帝、昆明池を開鑿するに、掘り出づる所皆灰黒の土にして塊たる土なし。西域の人曰く、『大劫将に尽きんとすれば、即ち劫火有りてこれを焼く。灰黒の土は即ち劫火の余燼なり』」とある。また「黙」に通ず。【史記・商君列伝】に「武王は臣下の直言敢諫によりて興り、紂王は沈黙昏聵によりて亡ぶ」とあり、【前漢書・竇嬰伝】に「竇嬰、沈黙して志を得ず」と見える。また太史公、六家の要旨を論じて曰く、「墨家は儉約にして遵従し難し。然れども其の本を彊め用を節する所、廃すべからず」と。六家とは陰陽家・儒家・墨家・名家・法家・道家なり。また地名。即墨は旧斉の地なり。【史記・斉世家】に「楽毅、斉の七十余城を攻め下す。唯だ即墨のみ下されず」とあり、今の即墨は漢の不其県なり。また墨山、即墨の東北に在り、墨水此より発す。【前漢書・郊祀志】に「皇帝、方士の議を採用して即墨に太室山を祀る。即ち此の山なり。別に一処、衞輝県の西北に在り」とある。【九州要記】に「墨子、墨山に住み、茯苓を採りて服し、五百歳にして死せず」と見える。また姑墨は国名にして、南は于闐に接す。また康居国に附墨城あり。【前漢書・西域伝】に見ゆ。また姓氏。大禹の師に墨如あり。【王符・潜夫論】に見ゆ。周に墨翟あり、明に墨麟あり。【姓纂】に「墨氏は即ち墨胎氏にして、孤竹君の後なり」とある。また老馬の腹中に物あって墨と謂い、狗宝のごときものなり。【本草綱目】に見ゆ。また【集韻】に旻悲切、音は「眉」。墨杘は沈黙して詐る様、また柔弱なる様を形容す。また【集韻】に莫佩切、音は「昧」。諡法に「貪りて官職を壊り、讒言にて善行を壊るを墨と謂う」とある。考証:【礼記・玉藻】「卜人亀を定め、史墨を定む」。注「凡そ卜するには、必ず墨をもって亀に画し、乃ち之に鑽り、其の坼くる所を観て吉凶を占う」。謹んで原文に照らし「拆」を「坼」に改む。また太史公、六家の要旨を論じて「墨家は儉にして遵従し難し。然れども其の本を彊め用を節する所、廃すべからず」と。謹んで『漢書』司馬遷伝に照らし「疆本」を「彊本」に改む。