【酉集上】【言部】誃;康煕筆画:13;頁碼:1160 頁 09 行。『唐韻』尺氏切。『集韻』『韻会』敞尒切、音は侈。『説文』に「離別なり」とある。また人名なり。『宋史・宗室表』に「修武郎士誃」と見ゆ。また「哆」に通ず。『爾雅・釈言』に「期誃、離なり」とあり。注に「斉は斯と曰ふ。誃は『詩疏』に見ゆ。斯・析・誃・張、皆分離の義なり。斉が斯と称するは、『国風・墓門』の『斧以斯之』是なり。誃を詩に見ると云うは、『小雅・巷伯』の『哆兮侈兮』なり。鄭箋に「箕星の哆に因り、而も之を侈大す」とあり。誃・哆、音義同じ。また『集韻』に或いは「謻」に作る。『説文』に「周の景王、洛陽に誃台を作れり」とあり。徐鍇曰く、「『爾雅』に堂楼の辺の小屋なり。これ蓋し小屋が大屋の体に連なるものにして、実は別に一区処を為すなり」。『前漢書・諸侯王表』に「周に責を逃るるの台あり」とあり。服虔の注に「周の赧王、責を負ひ、乃ち此の台に逃ぐ。後人因りて之を名づく」とあり。劉徳の注に「洛陽南宮の謻台是なり」とあり。顔師古曰く、「謻の音は移なり」。また『集韻』『類篇』に余知切、音は移。「謻」と同じ。台の名なり。一に曰く門の名なり。互いに「謻」字の注に詳し。また或いは「

」に作る。『戦国策』に「誃門を出ず」とあり。注に「誃、別なり。元は

に作る」とあり。また『玉篇』に直移切、『広韻』に直離切、『集韻』に知切、音は馳。これもまた「謻」と同じ。離なり、別なり。また『集韻』『類篇』に待可切、跎の上声。欺罔なり。「詑」「訑」と同じ。また『集韻』に唐佐切、跎の去声。義同じ。また『集韻』『類篇』に充豉切、侈の去声。大度有り。一に慶ともいう。「

」と同じ。