康熙字典解説
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【子集上】【人部】来;康熙筆画:8;頁 101。古文は徕。『広韻』落哀切、『集韻』『韻会』『正韻』郎才切、いずれも頼の平声。至る、還る、及ぶの意。『礼記・曲礼』に「礼は往来を尚ぶ。往きて来らずは礼に非ず、来りて往かざるも亦た礼に非ず」とある。また『公羊伝・隠公五年』に「公、棠において魚を観る。登来たるなり」とあり、注に「登は得と読む。斉人は求得を登来と謂う」とある。また玄孫の子を来孫と曰う。また麦の名。『詩経・周頌』に「我来牟を貽す」とあり、『前漢書・劉向伝』には「饴我厘麰」と作る。また呼ぶの意。『周礼・春官』に「大祝、瞽を来らしめて皋舞を令す」とある。また姓。また『集韻』に洛代切、音は赉。その至るを撫するを来と曰う。『孟子』に「放勲曰く、これを労しこれに来らす」とある。また隣奚切に叶い、音は離。『詩経・邶風』に「往くこと莫く来ること莫く、悠悠として我が思ふ」とあり、『素問』に「恬澹虚無なれば真気これに従い、精神内に守らば病い安んぞ来らん」とある。また郎狄切に叶い、音は力。『詩経・小雅』に「東人の子、職労して来らず」、下に服に叶う。『大雅』に「経始めて亟しくすること勿れ、庶民子として来たる」とある。また落蓋切に叶い、音は頼。『屈原・離騒』に「気変に因りて遂に会挙し、忽ち神奔りて鬼怪す。時髣髴として遥かに見ゆる兮、精皎皎として往来す」とある。また良置切に叶い、音は利。『荀子・賦篇』に「一往一来、结尾を以て事と為す」とある。考証:『荀子・賦論篇』に「一往一来、结尾を以て事と為す」とあり、謹んで原書に照らして論の字を省く。