康熙字典解説
康熙字典の原典を見る(第 785 ページ)
【午集中】【白字部】百;康煕筆画:6;頁碼:785 頁 04 行
古代文献による記載:【唐韻】【集韻】【韻会】【正韻】に「博陌切」と注音され、音は「伯」に同じ。【説文解字】に「十を十とす」と釈す。字形は「一」と「白」とより成る。十の十を一百とす。「百」は「白」に関係す。十の百を一貫とす。「貫」は章節の義なり。【徐鍇注】に「章節とは、詩における一章のごときものなり。百もまた完数なり。これは会意字なり」とある。【前漢書・律暦志】に「数は一より始まり、十は相協し、百は長さの単位となり、千はさらに大きく、万は延伸拡張す」とあり、また衆多を表すともいう。【易経・繋辞】に「百官用以て政事を治む」とあり、【尚書・堯典】に「百姓の事を平らかに治む」とあり、【後漢書・明帝紀】に「諸族の部落みな来たり貢ぐ」とある。また「百里」は剣の名、「百錬」は刀の名なり。【古今注】を見よ。また「百鹩」は鳥の名なり。【大戴礼記】を見よ。また「百足」は虫の名なり。【博物志】に「百足、また馬蚿と名づく」と記す。また「百合」は草の名なり。【譚子化書】に「山の蚯蚓変化して百合となる」と記す。また地名なり。隋代の百泉県、唐代の百文県これなり。また国名なり。【北史・百済伝】に「百済国は馬韓に属し、遼東の東に在り」と記す。また姓なり。百豊は列子の弟子なり。また複姓あり。【風俗通】に「秦の百里奚の後裔にして、祖先は虞国人なり。百里の地に居り、ゆえに百里を氏とす」とある。また【韻会】【正韻】に「莫白切」と注音され、音は「陌」に同じ。励ますの義なり。【左伝・僖公二十八年】に「前に跳ぶこと三百、上に跳ぶこと三百」とあり、【注】に「毎回の跳躍みな力を尽くして為すを謂う」とある。また唐代には杖刑を執行する者を「五百」と称す。【後漢書・曹節伝注】に「『五百』の二字、元は『伍佰』なり。『伍』は相当・匹配の義、『佰』は道路の義なり。彼らをして前に導かせ、道路中にて行人を駆逐せしむ」とある。【続漢書・志】に「五百は紅巾を着き深紅色の衣を纏う。すなわち今鞭打・杖刑を執行する者なり。また『伍佰』とも書く」と記す。また葉音に「伯各切」、音は「博」に同じ。【前漢書・季布伝】に「黄金百斤を得るも、季布の一諾を得るに如かず」とあり、【易林】に「洛邑城を建つるは周公の建てるところなり。世々三十を経て、歴年八百なり」とある。また葉音に「畢吉切」、音は「必」に同じ。【欧陽修・潭園詩】に「一の花姑く一酔に伴い、興を尽くさんにはまさに百杯を須う。而して我病みて飲む能わず、花に対して空しく嘆ずるのみ」とある。