康熙字典解説
康熙字典の原典を見る(第 1177 ページ)
【酉集上】【言部】謬;康熙画数 18、頁 1177。『唐韻』『正韻』は靡幼切、『集韻』『韻会』は眉救切で、音は「繆」に同じ。『説文』には、狂人の妄言を指すとある。『博雅』には、誤り・欺くことを意味するとある。『玉篇』には、乱れ・詐りを意味するとある。『広韻』には、過ちを意味するとある。『書・冏命』に「過失と誤りを正し、その邪僻の心を匡す」とある。『史記・李斯伝』に「その学説を誤らせ、その言辞を斥ける」とある。『前漢書・司馬遷伝』に「始め毫釐の差あれば、終りに千里の謬を生ず」とある。『蜀志・向朗伝』に「自ら書籍を校讎し、誤りを刊正す」とある。また姓にも用いる。『前漢書・儒林伝』に「謬生、申公の弟子なり」とある。「繆」の字と同じ。また「繆」に通仮す。『礼記・大伝』に「一事に謬あり」とある。注に「紕繆は誤りのごとし」とあり、版本ではまた「謬」と作る。『史記・司馬相如伝』に「臨邛の令、恭しく装う」とある。また葉韻して眉侯切、音は「謀」に同じ。『韓愈・房使君鄭夫人表』に「徳和しく行正しく、顕にして寛なり。まさに長寿富貴なるべきに、いかなるゆえか今謬ありや。永貞の年、冬至の前四日、暫く此の墳に居す。此れ其の墓丘に非ず」とある。また葉韻して弥笑切、音は「妙」に同じ。『陸機・演連珠』に「動は常法に従えば、天象なお観るべき所あり;応は恒規なければ、人心時に照らし難きことあり。故に日影を観て日を推せば、満数の日は期すべし;胸に手を当てて心を究むれば、時に謬出づることあり」とある。『説文』によれば、本字は「𧨢」と作る。『集韻』にはまたは「嘐」とも作る。