康熙字典解説
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【辰集下】【氏字部】民;康煕筆画:5;頁碼:頁 598 第 01 古文。【唐韻】【集韻】【韻会】【正韻】弥隣切、音泯。【説文】衆萌なり。萌にして識り無しと謂う。【易・師卦】君子は民を容れ衆を畜う。【書・咸有一徳】后(君主)民に非ずんば使わるる無く、民后に非ずんば治まる無し。【礼・緇衣】民は君を心とし、君は民を体とす。また四民あり。【穀梁伝・成元年】古え四民あり:士民あり、商民あり、農民あり、工民あり。【注】徳能位に居るを士と曰い、土を闢き穀を植うるを農と曰い、心を巧みに手を労して器物を成すを工と曰い、財貨を通ずるを商と曰う。また司民、星名なり。【周礼・秋官・司民】孟冬に司民を祀るの日、其の数を王に献ず。【注】司民は軒轅の角なり。【釈文】軒轅十七星、龍の形のごとく、両角あり。角に大民・小民あり。また官名なり。【周礼・秋官・司民】万民の数を登録することを掌り、生歯以上は皆版に書す。また民曹、漢の官名なり。【後漢書・百官志】民曹尚書は凡そ吏の上書する事を主る。【注】『蔡質・漢旧儀』に曰く:膳を典じ、功作を治め、池苑囿・盗賊の事を監ず。また民部、今戸部なり。【文献通考】漢に尚書郎四人を置き、其の一人財帛委輸を主る。魏の文帝に至り、度支尚書寺を置き、専ら軍国の支計を掌る。呉に戸部あり、晋に度支あり、皆算を主る。後周に大司徒卿一人を置き、『周礼』の制のごとし。隋初に度支尚書あり、すなわち後周の民部の職を併す。開皇二年、度支を改めて民部とす。永徽初、民部を改めて戸部とす。また北方に比肩民あり、【爾雅・釈地】に見ゆ。南方に裸民あり、【呂氏春秋】に見ゆ。また白民国、身白く、背に角あり、これに乗ずれば寿二千歳。羽民国、其の民皆羽毛を生ず。卵民国、其の民皆卵を生ず。毛民国、其の民皆毛を生ず。また労民・揺民・埙民・盈民・臷民・蜮民諸国あり、【山海経】に見ゆ。また鶴民国、人長さ三寸、日行千里、【窮神秘苑】に見ゆ。また姓なり、【姓苑】に見ゆ。また隣知切に叶い、音離。【夏禹襄陵操】洪水天に滔げり、下民愁悲す。上帝愈々咨(嘆)じ、三たび吾が門を過ぐれども入らず。父子の道衰え、嗟嗟として下民を煩わしむるを欲せず。また弥延切に叶い、音眠。【楊方・合歓詩】彼が蛩蛩の獣に斉しく、挙動相捐てず。生じて同穴の好あり、死して並棺の民と成る。【六書略】民は俯首して力作するの形に象る。按ずるに民字の義一に非ず。総べて人を言える者あり、『詩』に「天生蒸民」「厥初生民」是れなり。君に対して言える者あり、『書』に「民惟邦本」是れなり。在位に対して別つて言える者あり、『詩』に「宜民宜人」。注に「人は臣を謂い、民は衆庶を謂う」とあり是れなり。幽に対して言える者あり、『論語』に「務民之義」、『左伝』に「先づ民を成して而る後に神に力を致す」是れなり。己に対して言える者あり、『詩』に「民莫不穀、我独于罹」是れなり。農に対して言える者あり、『漢書・食貨志』に「粟甚だ貴きは民を傷つけ、甚だ賤きは農を傷つく」是れなり。況や四民は士農工商を兼ぬ、豈力田して始めて民と称せんや。『六書略』の説穿鑿にして従うべからず。