门

発音mén
五行
吉凶
画数8 画

基本情報

発音 mén
五行
吉凶
部首
簡体画数 3 画
繁体画数 8 画
繁体字
異体字

命名の意味

康熙字典解説

康熙字典の原典を見る(第 1329 ページ)
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【戌集上】【門部】門;康熙画数 8;頁 1329。『唐韻』莫奔切、『集韻』『正韻』謨奔切、『韻会』謨昆切、音は扪(もん)。『説文』に「聞くなり」とあり、二つの戸に従い、象形である。『玉篇』に「人の出入する所」とある。『博雅』に「門は守るなり」とある。『釈名』に「扪(もつ)なり。外にて人に手をもって触れらるるをいう」とある。『易・同人』に「同人于門」とあり、注に「心に偏私吝嗇なく、大同と通ず。門を出て見る所みな同じゆえ、同人于門という」とある。『書・舜典』に「賓于四門、四門」とあり、伝に「四門は四方の門なり」とある。『礼・月令』に「孟秋の月、その祀は門」とある。『周礼・天官・掌舎』に「帷宮を設け、旌門を立てる」とあり、注に「王出行して途次に停まり飲食休息する時、帷帳を張って宮室となし、旌旗を立てて門を示す」とある。また「車宮を設け、轅門を立てる」とあり、注に「王険阻の地に宿営する時、兵車を藩籬となし、車を仰げてその轅をもって門とする。今幕府もまた轅門・牙門と呼ぶ」とある。『楚辞・九弁』に「君の門は九重を以てす」とあり、注に「天子に九門あり:関門・遠郊門・近郊門・城門・皋門・雉門・応門・路門・寝門。庫門ともいう。また譙門あり、城上に高楼を築きて瞭望に用いる」とある。『前漢・陳勝伝』に「郡丞のみこれと譙門中に戦う」とあり、また橋門あり、国学の門なり。『後漢・儒林伝』に「橋門を環りて観聴する者、およそ億万に至る」とある。また師門あり。『後漢・桓栄伝』に「上は経書の要旨に通じ、下は家を離れて郷学を慕い、師門に学ぶ」とある。また『通鑑』に「唐の狄仁傑、かつて姚元崇ら数十人を推薦す。人これに謂いて曰く、天下の桃李、みな君が門下に在り」とある。また『正字通』に「世族顕赫なるを門望という。韓顕宗の奏疏に、門望は祖父の遺せる功業なりという」。また凡そ事物の要害なる所をみな門という。『易・繋辞』に「道義の門戸」とあり、疏に「事物适宜に安んずるはここより出づ。ゆえに道義の門戸とは、道義の出入する門戸なるをいう」とある。また『老子・道徳経』に「衆妙の門」とある。また期門は勇士なり。『後漢・譙玄伝』に「皇帝始めて期門を置き、数たび微行す」とあり、注に「前漢書に曰く、武帝微行する時、常に侍中・常侍・武騎および待詔、北地の良家子弟で騎射に善なる者と約して殿門に会す。ゆえに期門の号あり。これより始まる。成帝の微行もまた然り。ゆえに始めという」とある。『班固・西都賦』に「期門・佽飛らの勇士、兵刃を列ね、弓矢を集む」とある。また官名あり。『周礼・地官』に「司門、祭祀に用いる牛牲をここに繋ぎ、監門これを与養す」とある。『後漢・百官志』に「黄門侍郎、禄六百石、皇帝の左右に侍従して職に奉ずるを掌る」。また「門大夫、禄六百石」とあり、注に「漢官に曰く、門大夫二人、四府の属官より選抜す」とある。また『周礼・春官・小宗伯』に「それ嫡子はみな門子と称す」とあり、注に「将に父に代わって当家主事すべき者なり」とある。『左伝・襄公十一年』に「大夫および諸司の嫡子は従うべからず」とある。また地名あり。『左伝・襄公二十七年』に「木門に寓す」とあり、注に「木門は晋の地なり」とある。『史記・項羽本紀』に「軍四十万、新豊の鴻門に在り」とあり、孟康の注に「新豊の東十七里に在り」とある。また『秦本紀』に「石門にて三晋の軍を破る」とあり、『一統志』に「平陽府解州東南の白径嶺に在り、中条山を越えて陝州に通ずる道なり。山嶺高く天に聳え、左右壁のごとく陡立し、中間狭にして車軌を容れず。名けて石門という」とある。また雁門あり、郡名なり。『前漢・地理志』に見ゆ。また山名あり。『書・禹貢』に「積石より導き、竜門に至る」とあり、伝に「竜門山は黄河の東面西界に在り」とある。『後漢・逸民伝』に「龐公その妻子を携え、鹿門山に登る」とある。また『正字通』に「北方極北の山を寒門という。漢光武紀の寒門の注に、師古曰く、今の冶谷は甘泉より八十里、盛夏といえども甚だ寒し」とある。また星名あり。『史記・天官書』に「その南北の大星二つを南門という」とあり、注に「南門の二星は庫楼の南、天外の門に在り。明らかなれば氏羌来たりて貢す」とある。『天文志』に「太微の南の四星は執法、中は端門、左右は掖門なり」とある。また姓あり。公卿の子、六芸をもって教うるを門子と称す。後これを姓となす。後魏に門文愛あり。また東門・西門・雍門・木門はいずれも複姓なり。『左伝・宣公十八年』の注に「襄仲東門に住す。ゆえに東門氏という」とある。また楽名あり。『周礼・春官・大司楽』に「楽舞をもって国子を教え、雲門・大巻・大咸・大韶・大夏・大濩・大武を舞う」とあり、注に「これは周の存するところの六代の楽舞なり。黄帝の時を雲門という」とある。また人名あり。『史記・秦始皇本紀』に「盧生をして羡門・高誓を探さしむ」とあり、注に「羡門は古の仙人なり」とある。『前漢・芸文志』に「逢門射法二篇」とあり、注に「すなわち逢蒙なり」とある。『荀子・正論篇』に「羿・蜂門らの者は天下の射に善なる者なり」とある。また『正字通』に「僧を沙門・桑門という」とあり、『前漢・郊祀志』に「沙門とは漢語にて心を息げ髪を削ぎ、情欲を断ち、無為に帰するをいう」とある。また『韻補』に叶音民堅切、音は眠(みん)。『楚辞・遠遊』に「虚静以待兮、物の先を搶るなかれ。万物能く生ず兮、これ徳の門なり」とある。また叶音眉貧切、音は珉(びん)。『詩・邶風』に「北門より出でて、忧心忡忡たり」。下の「貧」の字に叶う。『荀卿・雲賦』に「往来晦昧にして大神と通じ、出入甚だ繁く、その門を知る者なし」とある。考証:『周礼・大司楽』に「雲門・大巻・大咸・大磬・大夏・大濩・大武を舞う」とある。謹んで原文により「大磬」を「大韶」に改む。

康熙字典現代語版

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