【戌集中】【革部】鞮;康熙筆画:18;頁碼:1390 頁第 13。『唐韻』都兮切、『集韻』『韻会』『正韻』都黎切、音は低。『説文』に「革の履なり」とあり。『玉篇』に「単履なり」とある。『揚子・方言』に「関より東、複履の下に禅(ひとえ)なる者を鞮と謂う」とあり。注に「今の韋鞮なり」という。『礼記・曲礼』に「鞮屨」とあり。注に「鞮屨は絇なき菲なり」という。疏に「絇の飾りなき履を謂う。履は絇をもって飾りとす。凶事なれば故に絇なきなり」と説明する。『戦国策』に「甲・盾・鞮・鍪」とあり。注に「鞮は革の履なり」という。また『周礼・春官・大宗伯』に「鞮鞻氏」とあり。注に「鞮屨は四夷の舞者の履く所なり」という。また『礼記・王制』に「西方を狄鞮と曰う」とあり。注に「鞮之言は知なり。今冀都に狄鞮と言う者あり」という。『前漢書・司馬相如伝』に「狄鞮の倡」とあり。注に韋昭曰く「狄鞮は地名なり。河内に在り。善き倡者を出す」という。また『揚子・法言』に「東鞮・北女、来って其の珍を貢ず」とあり。また地名として、『左伝・昭公二十八年』に「楽霄、銅鞮大夫と為る」とあり。注に「上党郡銅鞮県」という。『史記・仲尼弟子伝』に「銅鞮伯華」とあり。注に「銅鞮は晋の大夫羊舌赤の邑なり。世に赤を号して銅鞮伯華と曰う」という。また『後漢書・和帝紀』に「和渠北鞮海に至るまで追う」とあり。また人名として、『左伝・昭公十五年』に「鼓子の鞮を以て帰る」とあり。また姓として、『前漢書・匈奴伝』に「単于、姓は攣鞮氏」とあり。また『集韻』に田黎切、音は題。これも革の履なり。『集韻』に或いは

と作るとある。