汳

発音HEN BEN
五行
画数8 画

基本情報

発音 HEN BEN
五行
吉凶 なし
部首
簡体画数 7 画
繁体画数 8 画

命名の意味

康熙字典解説

康熙字典の原典を見る(第 608 ページ)
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【巳集上】【水部】汳;康煕筆画:8;頁碼:608 頁 04 行。『唐韻』『集韻』皮変切、『正韻』毗面切、音は卞。水名。陳留・浚儀の陰溝より発し、蒙県に至って雝水と称し、東流して泗水に注ぐ。『水経』に「汳水は陰溝に発し、浚儀県の北を流れ、さらに東して梁郡蒙県に至りて濉水と称す。その余波は睢陽城中に入る」とある。酈道元の注に「陰溝は蒗蕩渠にして、亦た汳と称し、旃然水を受ける」といい、また「丹水・泌水乱れて流れ、武徳にて河と絶ち、南して滎陽に入りて汳水に合す。故に汳水は兼ねて丹水の称を有す」という。汳水は東して陳留を流れ、さらに東して梁国睢陽県を流れ、さらに東して貫城を流る。城は蒙県の西北に在り。汳水は蒙県の南より出づるも、今は水なし。ただ睢陽城南に一小水ありて、南して睢城に注ぐ。また汴と作る。『後漢書・明帝紀』に「将作謁者王呉を遣わして汴渠を修め、滎陽より千乗海口に至らしむ」とあり。注に「汴渠は即ち蒗蕩渠なり」という。宋の曽鞏の説に「昔大禹、滎沢の下にて大河を分けて陰溝とし、淮水・泗水に出だし、浚儀の西北に至りて又た二渠に分つ。後に鴻溝とも浪宕渠とも浚儀渠とも石門渠とも称す。石門渠は東して済水に合し、河渠と共に東流し、敖山の北に至りて兼ねて汴水となり、さらに東して滎陽の北に至りて旃然水東流して汴水に入る。滎陽の西に広武二城あり、汴水は両城の間の竇より東出ず。済水は此処に至りて絶つ。桓温これを疏えんとしたが成らず、晋の太和年間なり。劉裕これを浚いて始めて湍流湧き注ぎ、漕運に用いるに至るは義熙年間なり。皇甫誼河南の民夫百万を発してこれを開鑿し、滎陽より始めて淮水に入り、一千余里なり。名を改めて通済渠と称するは隋の大業初年にして、後世その便に頼れり」という。『一統志』に「汴水源は開封府滎陽県大周山に出で、京・索・須・鄭の四水を合わせ、東南して中牟県に至り、北流して黄河に入る」とあり。また『広韻』芳万切、『集韻』孚万切、音同じ。『集韻』にまた汴と作る。

康熙字典現代語版

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