康熙字典解説
康熙字典の原典を見る(第 405 ページ)
【卯集上】【心部】応;康熙画数:17;頁 405。『広韻』『集韻』『韻会』『正韻』に「于陵切」、音は膺。『説文』に「当なり。心に従い声に従う」。徐鍇曰く、「鷹」の字なり。本は「𪀋」と作り、今「応」と作る。また料度する辞なり。唐詩に「応須」「祇応」など皆是れなり。また『国語・周語』に「其の叔父実に応じて且つ憎む」。注に「猶受くるがごとし」とあり。また国名なり。『括地志』に「故応城は応山に因みて名づく。汝州葉県に在り」。また姓なり。南頓に出づ。本周の武王の後なり。『左伝・僖公二十四年』に「邗・晋・応・韓は武の穆なり」。漢に応曜あり、四皓と共に隠れ、曜独り出でず。八代の孫に応劭あり、『漢書』を集解す。また「膺」に通ず。『書経・武成』に「誕に天命を膺ず」。注に「当なり」とあり。また『広韻』『集韻』『韻会』『正韻』に「于証切」、音は譍。『集韻』に「答なり」。『広韻』に「物相応ずるなり」。『易経・咸卦』に「二気感応して相与す」。また楽名なり。『周礼・春官・笙師』の「応楽」の注に「応は長六尺五寸、柷に象り、椎底に連なり、左右相撃して以て柷に応ず」。『楽書』に「応楽は猶鷹の物に応ずるがごとく、其の獲る所小なり。故に小鼓・小舂を応と謂ひ、以て大に応ずるなり」。小鼙を応鼓と曰う。『周礼・春官・小師』に「応鼓を撃つ」。注に「鼐なり」とあり。また天子の門を応門と曰う。『詩経・大雅』に「乃ち応門を立てる」。注に「正門なり」とあり。また州名なり。雁門の地、唐に応州を置く。また叶して「于容切」、音は雍。『易経・蒙卦』に「童蒙我に求む、志応ずるなり。初筮告ぐ、剛中を以てなり」。『陸賈・新語』に「事は類を以て相従い、声は音を以て相応ず」。按ずるに、応字は向来経史皆平声・去声の二音に作る。『正字通』は止めて去声に作すは誤りなり。