康熙字典解説
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【辰集上】【木部】梟。康煕筆画 11、頁碼 529 第 16。『唐韻』古堯切、『集韻』『韻会』堅堯切、音は驍なり。『説文』に「不孝の鳥なり」とあり。『詩・大雅』に「梟となり鴟となる」と見え、『陸璣疏』に「関より西では梟を流離という」とある。その雛は成長すれば自ら其の母を食らう。ゆえに張奂曰く、「鶹鷅は母を食らう鳥なり」。また其の肉は味美にして羹にすべし。『北戸録』に「古人亦た梟の羹を食す。其の本意は其の類を絶たんとするに在りて、美なるを以てするに非ず」という。また首を斬りて木に懸くるを梟首と謂う。『前漢・高帝紀』に「故塞王司馬欣の首を櫟陽の市に梟す」と見え、また勇健を指す。同書に「北貉・燕の人、驍騎を進めて漢軍を助く」とあり、また山頂を指す。『管子・地員篇』に「其の山の顛には桔・符・榆多し。其の足の側には箭竹・苑草あり」と見え、また雄長を指す。『淮南子・原道訓』に「清静寂寞として天下の梟たるを得」とあり、また梟瞯は眼窩陥没の状を形容す。『王褒・四子講徳論』に「歯焦け眼窪み、身に青を入れ裸形なる国、奔走して貢せざるはなし」と見え、また梟盧は樗蒲の博戯における彩の名なり。幺を梟とし、六を盧とす。晋の謝艾曰く、「梟は邀取の義なり。六博に梟を得れば勝つ」と。『楚辞』に「梟を成して牟と為す(謹んで原文に従い「為牟」を「而牟」に改む)」とあり、梟に二点を加えて珉彩と為す。牟とは勝つを謂う。梟に勝らんと欲せば必ず五白を投ずべし。また『本草別録』に「桃にして冬まで凋落せざるを梟桃と謂う」とあり、また姓なり。『姓譜』に「隋の煬帝、楊玄感を誅して其の姓を改めて梟氏と為す」と見える。考証:『楚辞』の「成梟為牟」は、謹んで原文に従い「為牟」を「而牟」に改む。