康熙字典解説
康熙字典の原典を見る(第 235 ページ)
【丑集中】【土部】塗;康熙筆画 13;頁碼 235 頁下段 20。『広韻』『集韻』『韻会』『正韻』はいずれも同都切とし、音は「徒」に同じ。泥土を指す。『尚書・禹貢』に「涂泥」と見える。詳しくは「土」の字注を参照。また『爾雅・釈詁』に「路・旅」を道路の意味と解す。張衡『西京賦』「参涂夷庭」。注に曰く、参涂とは外城の城門に通じる三条の道路をいう。潘岳『藉田賦』「啓四涂之広阡」。また塞ぐを指し、泥土等をもって孔穴を填塞することをいう。『尚書・梓材』「惟其涂墍茨」。『詩経・小雅』「如涂涂附」。また汚す・穢すを指す。『荘子・譲王篇』に夷斉が曰く、周の所為は我が身心を汚せり。これを避けて以て品行の純潔を保つべしと。また厚く濃き様を形容す。『楚辞・九歎』「白露紛以涂涂」。謝朓『酬王晋詩』「涂涂晩露稀」。また『礼記・檀弓』「菆涂龍輴以椁」。また「涂車」あり、陪葬に用いる泥製の車にして明器の一種なり。『礼記・檀弓』「涂車芻霊。自古有之」。また「糊塗」あり、事理に通ぜず混乱せるを指す。『宋史・呂端伝』に太宗呂端を宰相に任ぜんと欲し、或る人呂端の人柄は糊塗なりと云う。帝曰く、呂端は小事には糊塗なれど大事には糊塗ならずと。また「涂乙」あり、文字を改訂するを指す。『隋書・百官志』に記載す、給事中は侍従左右に掌り尚書省の事務を処理し、詔勅に不妥之处あれば涂抹して改め奏還するを「涂帰」と称すと。李義山『韓詩』に「点竄堯典舜典字,涂改清廟生民詩」と。また「涂山」あり、古国名。寿春界巣県の東北に在り。『尚書・益稷』「娶于涂山」。『連山易』に記載す、禹涂山氏の女を娶り、名を攸とす。『史記・夏本紀』に記載す、禹涂山に諸侯を会す。今山の前に禹会村あり。蘇軾『禹会村詩』あり。俗伝に涂山を会稽・渝州・濠州・当涂・九江及び三巴の江州に在りとすれども、これらの説はいずれも非なり。また山名なり。『山海経』に記載す、天帝山の西南を皋涂山と曰う。また「三涂」あり、太行・轘轅・崤澠の三処の険要之地を指す。馬融『広成頌』「右矕三涂。左概嵩岳」。矕は見るの意。また姓なり。『統譜』に見ゆ。また『集韻』に徒故切とし、音は「渡」に同じ。張衡『思玄賦』「雲師以交集兮,凍雨沛其洒涂。琱輿而樹葩兮,擾応龍以服路」。また『広韻』に宅加切、『集韻』に直加切とし、音は「茶」に同じ。低湿の地を指す。一説に装飾を指す。『前漢書・東方朔伝』の諧謔語に「老柏涂」と。柳宗元詩「善幻迷氷火,斉諧笑柏涂。東門牛屡飯,中散蝨空爬」。また他魯切に叶い、音は「土」に同じ。『史記・亀策伝』「周流天下,還復其所。上至蒼天,下薄泥涂」。考証:また「三涂」は太行・轘轅・崤澠の三処の険要之地を指す。謹んで『集韻』に従い「轘」を「轘」に改む。馬融『広成頌』「左矕三涂。右概嵩岳」。矕の音は盻なり。謹んで原文に従い「左矕」を「右矕」に、「右概」を「左概」に改む。また「盻」と「矕」は音異なるにより、原注の「音盻」を「視なり」に改む。柳宗元詩「東門半屡飯,中散蝨空爬」。謹んで原文に従い「半」を「牛」に改む。