康熙字典解説
康熙字典の原典を見る(第 197 ページ)
【丑集上】【口部】善;康煕筆画:12;頁碼:197 頁 18 行
古文は「譱」と作る。
『広韻』には常演切、『集韻』『韻会』『正韻』には上演切とあり、音は「蟺」に同じ。
『説文解字』に「吉なり」とある。
『玉篇』に「大なり」とある。
『広韻』に「好し、佳し」とある。
『尚書・湯誥』に「天道は善に福し淫に禍す」とある。
また『詩経・鄘風』に「女子善く懐く」とあり、鄭玄の箋に「善は多きがごとし」と注す。
『礼記・文王世子』に「嘗饌善ければ、世子もまた能く食す」とあり、注に「善は前に比して多きを指す」と説く。
また『礼記・曲礼』「国に入れば馳せず」の注に「馳すれば人を躙る」とあり、疏に「善は好しの意、車馳すれば人に撞り易し」と説く。
また『礼記・王制』の注に「善士は命士を指す」とある。
また『礼記・学記』に「相観て之を善くするを摩と謂う」とあり、疏に「善は理解の意に同じ」と説く。
また『礼記・少儀』に「道芸を問うに曰く、子某に習うや、子某に善きや」とあり、疏に「道は較べて難きが故に『習』と称し、芸は較べて易きが故に『善』と称す」と説く。
また『前漢書・西域伝』に「鄯善国、本名楼蘭王」と見える。
また「単」に通ず。『前漢書・匈奴伝』に「単于を善于と曰う」とある。
また『広韻』に姓として載せ、『呂氏春秋』に「善巻、堯の師」とある。
また『韻会』『正韻』に時戦切とあり、音は「繕」に同じ。毛氏は「凡そ善悪の善は上声、彼を善しとして之を肯んずるの善は去声」と言い、『孟子』の「王如し之を善くせば」の善これに当たる。按ずるに、『玉篇』『広韻』『集韻』『類篇』において善字に去声の音なし。
また『正字通』に「人と友好に交わるを友善と謂う」とあり、『史記・刺客列伝』に田光の言「所善の荊卿使うべし」と見える。
また「膳」に通ず。『荘子・至楽篇』に「太牢を具えて以て善と為す」とあり、『集韻』に或いは「嬗」と作る。