【酉集上】【言部】話;康煕筆画:13;頁碼:1158 頁第 10 行
古文において、『玉篇』は胡卦切と注音し、『正韻』は胡挂切と注音して、音は「畫」に同じ。『説文解字』には「美なる言を会す」と釈す。『爾雅・釈詁』には「言う」と釈す。『疏』に孫炎曰く、「これは善人の言うところの言なり」。『広韻』には「言語、言葉」と釈す。『書・盤庚』に「乃ち民の率いざるを話して、誕に亶を用いて告ぐ」とあり。『註』に「告諭し、言う」と釈す。『詩・大雅』に「爾が話を出すを慎め」とあり。『伝』に「善言」と釈す。『左伝・文公六年』に「之を話言に著す」とあり。『註』に「善言を記して遺訓・戒めと為す」と釈す。また『広雅』に「調笑し、羞辱す」と釈す。また『小爾雅』に「治む」と釈す。また『唐韻』は胡快切と注音し、『集韻』『韻会』は戸快切と注音して、音は「躗」に同じ。義も同じ。また『集韻』は胡化切と注音し、音は華の去声。これも言うの意味。あるいは「咶」と書く。また葉音は胡臥切で、音は和の去声。『白居易・陶潜体に効う詩』に「兀然として思う所なく、日尚ほ高ければ閑かに臥す。暮に一巻の書を読み、意会うこと嘉話のごとし」とある。『説文解字』の本字は「

」と作る。籀文は「譮」と作る。