【辰集下】【欠部】歌;康煕筆画:14;頁碼:571 頁 07 行。古文に可・哥と作る。『唐韻』古俄切、『集韻』『韻会』『正韻』居何切、音は柯。『説文』に「詠ずるなり」。徐鍇曰く、「長く其の声を引きて詠ずるなり」。『釈名』に「人の声を歌と曰う。歌とは柯なり。声を以て吟詠し上下す、草木に柯葉あるが如し」。『揚子・方言』に「兗・冀は歌と言い、声は柯の如し」。『書・舜典』に「詩は志を言い、歌は言を永くす」。正義曰く、「直言は意を申ぶるに足らざれば、故に歌して其の詩の義を詠じ、其の言を長ずるなり」。『礼記・楽記』に「詩はその志を言い、歌はその声を詠ずるなり」。又曰く、「歌之为言や、之を長ずるなり。言之足りざれば、故に之を長ずるなり」。又、曲にして楽に合するをいう。『詩・魏風』に「我れ歌い且つ謡う」。伝に「曲にして楽に合するを歌と曰い、徒歌を謡と曰う」。疏に正義曰く、「謡既に徒歌なれば、則ち歌は徒ならず、故に曲にして楽に合するを歌と曰う。歌謡対文かくの如し、散ずれば歌は総名にして、必ずしも楽に合うべからず」。又『韓詩・章句』に「章曲有るを歌と曰い、無きを謡と曰う」。又『古楽府注』に「斉の歌を謳と曰い、呉の歌を歈と曰い、楚の歌を艶と曰う。楽を奏するを登歌と曰い、升歌と曰う」。又鐘の名。『左伝・襄公十一年』に「鄭人晋侯に歌鐘二肆を賂り、晋侯楽の半を以て魏絳に賜う」。又山の名。『広輿記』に「歌山、広西平楽府富川県に在り」。又朝歌、地名にして紂の都せし所なり。漢に県となり、河内郡に属す。『前漢・地理志』に見ゆ。又古賀切に叶い、音は過。『左貴嬪・晋元后誄』に「内に陰教を敷き、外に陽化を毗す。庶政に綢繆し、夙夜に密勿す。恩は風に従いて翔け、沢は雨に伴いて播く。中外禔福、遐邇詠歌」。説は『顔氏・刊謬正俗』に見ゆ。又居之切に叶い、音は姫。『屈原・遠遊』に「咸池に楽を張り承雲を奏す兮、二女九韶を御し、歌う、湘霊をして瑟を鼓せしめ兮、海若に命じて馮夷を舞わしむ」。又斤于切に叶い、音は居。『柳宗元・饒娥辞』に「鄱民哀号し、或いは頌歌す。斉女色を憂い、槐を傷みて誅を罷む」。『説文』に或いは謌と作る。『集韻』に或いは

と作る。