康熙字典解説
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【午集下】【示部】禘。康煕筆画 14、頁碼 845 第 13。『唐韻』特計切、『集韻』『韻会』『正韻』大計切、音は第。これは古代の帝王が行う大祭の名称である。『礼記・大伝』に「礼制により、帝王にあらずんば禘を行わず。帝王は禘をもってその始祖の所自出を祭り、その始祖を以て之に配す」と規定される。按ずるに、禘と祫についての説は千年来争い絶えず。鄭玄は『礼緯』の「三年に一祫、五年に一禘」の説に基づき、祫は大にして禘は小なりとす。王粛・張融・孔晁らは、逆に祫は小にして禘は大なりとし、禘と祫を明らかに二祭として区別す。『礼』経を総合して考うるに、禘と祫は実同一事にして、禘とは四時祭中の一種なり。「祫」の字は「示」に従い「合」に従う。凡そ合祭するを皆祫と称す。「禘」の字は「示」に従い「帝」に従う。およそ帝祭の称なるべし。この制は帝舜に始まり、夏・商・周これに因襲す。その義は宗廟の昭穆の序を審らかに弁じ、上って始祖の所自出を追祭し、下って遷廟・未遷廟の祖先の主を包摂するに在り。天子の四時祭は、春を礿と称し、夏を禘と称し、秋を嘗と称し、冬を烝と称す。『祭統』『王制』等の文献しばしばこれを言及す。而してその最も重きものは禘に過ぎず。故に『春秋』はただ「大事」を記し、『公羊伝』もまた禘中の祫を特に重大として「大祫」と記す。旧来の儒者は、『春秋』『公羊伝』ここに「禘」の字を見ざるを以て、別に祫祭ありと為す。惟だ杜預のみ、『左伝』に祫の文なきを以て、「大事」を禘を以て釈す。孔穎達の注に曰く、「祫すなわち禘なり。その昭穆の序を列ねる義を取れば之を禘と称し、その衆多の祖先を集めて共に祭る義を取れば之を祫と称す」。これ誠に改むべからざる釈なり。趙匡また「その祖を以て之に配す」の文に拘泥し、他の祖先に関与せずと為す。始祖以下を皆祖と称す。「その祖を以て之に配す」とはいえ、諸祖を包摂せざらんや。しかも『爾雅』祭を釈して「禘、大祭なり」と曰う。もしただ始祖の所自出のみを祭り、広く昭穆の序ある諸祖を集めずんば、果たして大祭と称すべけんや。元の儒者黄楚望曰く、「始祖、有廟・無廟の諸主を率いて、共に始祖の所自出の地に享す。これ子孫をして其の祖先を見ることを得せしむるなり。また世系遠きが故に、始祖の功徳を見ること尤も盛んなり」。これ実に禘の制を設けたる宗旨を深く体得せるものなり。