悌

発音TEI,SUNAO YASURAKA HIRAKU
五行
吉凶
画数11 画

基本情報

発音 TEI,SUNAO YASURAKA HIRAKU
五行
吉凶
部首
簡体画数 10 画
繁体画数 11 画

命名の意味

康熙字典解説

康熙字典の原典を見る(第 386 ページ)
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【卯集上】【心部】悌;康煕筆画:11;頁碼:386 頁 43 行。『唐韻』特計切、『集韻』『韻会』『正韻』大計切、音は第。『説文』に「兄弟を善く待つ」とあり、心に従い弟声なり。経典には通じて「弟」の字を用いる。また『広韻』徒礼切、『集韻』『韻会』待礼切、音は娣。『玉篇』に「和楽平易なるさま」とあり、『詩経』の「豈弟」と同じ。【注】豈は楽しむ、弟は平易なり。また『集韻』蕩亥切、音は待。義同じ。また『集韻』待亦切。平易の義。あるいは「弟」と作る。義同じ。また『爾雅・釈言』に「豈弟、発なり」とあり。【郭璞注】発とは発して行くこと。『詩経』「斉子豈弟」を引く。【疏】鄭玄の箋を引いて曰く、ここにおける「豈弟」は「発夕」(夕方に発する)と言うがごとし。豈は闓と読む。弟は古文『尚書』において「圛」に作る。圛は光明の義なり。されば郭璞が発を行くことと説くは、鄭玄の箋を採用して解釈せるなり。【孔穎達】ここにおける「豈弟」は「発夕」のごときものにして、他処の「豈弟」と義を異にす。「愷」を「闓」と読む。『説文』に「闓は開く」とあり。『洪範』に卜兆五種を論じ、その一を「圛」と名づく。注に「圛は色沢光明なる義」とあり。上文に「発夕」とあるは初夜に発して行くを言い、ここに「闓明」とあるは天未だ明ならざるときに発して行くを言う。上文の義と相通ずる。按ずるに、「豈弟」にまた発して行くの義あり。毛亨の伝は『斉風・載駆』の「豈弟」について、他処の「豈弟」と混同して同じく解せり。鄭玄の箋はこの説を採用せず、必ず考証あるべし。『集韻』にまた「待亦切」の音あり、まさに「発なり」(発するの義)と解すべきなり。今の『集韻』なお毛亨の伝を採用して鄭玄の箋を採用せずんば、この一音を加うるは贅疣なり。考証:『集韻』にまた「特入切」あり。謹んで按ずるに、『集韻』の「悌」字に「特入切」の音なく、ただ「待亦切」のみあり。原文に従い「特入切」を「待亦切」に改む。

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