康熙字典解説
康熙字典の原典を見る(第 925 ページ)
【未集中】【糸部】綏;康熙画数:13;頁碼:925 頁下段 17。古文に夊と作る。『広韻』息遺切、『集韻』『韻会』宣隹切、『正韻』蘇回切、音は雖。『説文』に「車中の把なり」とあり。注に徐鍇曰く、「礼、車に昇るには必ず正立して綏を執る。これ安んずる所以なり」。『儀礼・士冠礼』に「婿、婦の車を御して綏を授く」。注に「綏は、車を引く所以なり」。『礼記・曲礼』に「僕人の礼、必ず人に綏を授く」。また『尚書・禹貢』に「五百里は綏服」。伝に「綏は安なり。王者の政教に安んじて服す」。『詩経・周南』に「福履これを綏す」。伝に「安なり」。また『左伝・文公十二年』に「乃ち皆出戦して交綏す」。注に「古、軍を退くるを綏と名づく」。疏に「『司馬法』に将軍は綏に死すとあり。旧説に綏は却く(退く)なり」。また『荀子・儒効篇』に「綏綏たり其れ文章有る」。注に「安泰の貌。あるいは葳蕤の貌とする」。また州名。『広韻』に「春秋の時、白翟の居する所。秦、天下を併せて上郡と為す。後魏、郡を廃して州を置き、綏徳県を取って名と為す」。また『集韻』に双隹切、音は榱。毿は毛の長き貌。一に狐の貌と曰う。あるいは綏と作る。『詩経・衛風』に「狐有り綏綏たり」。伝に「匹行の貌」。また『集韻』に儒佳切、音は蕤。緌はあるいは綏と作る。『詩経・大雅』に「淑旂綏章」。伝に「大綏なり」。疏に「綏とは、即ち交龍の旂の竿に建つる所なり」。『礼記・王制』に「諸侯殺せば則ち小綏を下し、大夫殺せば則ち佐車を止む」。注に「綏は当に緌と為すべし。緌は有虞氏の旌旗なり」。また『明堂位』に「夏后氏の綏」。注に「綏は冠の蕤の蕤と読む」。また『集韻』に思累切、音は瀡。隋はあるいは堕と作る。また綏と作る。尸の祭る所の肝脊黍稷の類なり。『儀礼・士虞礼』に「綏祭せず」。注に「尸に事うるの礼は、綏祭に始まる。綏は当に堕と為すべし」。また『集韻』に呼恚切、音は毀。義同じ。また『集韻』に吐火切、音は妥。『礼記・曲礼』に「天子の器を執れば則ち衡を上げ、国君なれば則ち平衡し、大夫なれば則ちこれに綏す」。注に「綏は妥と読む。之を妥と謂うは心に下るを謂う」。また「国君は綏視す」。注に「国君を視るは弥々高し。妥視とは、視ること袷に止まるを謂う」。また『集韻』に通回切、音は推。妥はあるいは綏と作る。安坐なり。考証:『説文』に「車中の把なり」。注に徐鍇曰く、「礼、車に昇るには正立して綏を執る」。謹んで原注の「正立」を照らして「必ず正立」に改む。『儀礼・士冠礼』に「婿、婦に御して綏を授く」。謹んで原文の「婦」の字の下に「車」の字を増す。『礼記・王制』に「諸侯殺せば則ち小綏を下し、大夫殺せば則ち左車を止む」。謹んで原文の「左車」を「佐車」に改む。