康熙字典解説
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【未集中】【糸部】綏;康熙筆画 13、頁 925。古文は夊。『広韻』息遺切、『集韻』『韻会』宣隹切、『正韻』蘇回切、音雖。『説文』に「車中の把なり」とあり。註に徐鍇曰く、「礼、升車すれば必ず正立して綏を執る。これ安んずる所以なり」。『儀礼・士冠礼』に「壻、婦の車を御して綏を授く」とあり。註に「綏は、車を引く所以なり」。『礼記・曲礼』に「僕人の礼、必ず人に綏を授く」とある。また『尚書・禹貢』に「五百里は綏服」とあり。伝に「綏は安なり。王者の政教に安んじて服す」という。『詩経・周南』に「福履これを迎(やす)んず」とあり。伝に「安なり」という。また『左伝・文公十二年』に「乃ち皆出戦して交綏す」とあり。註に「古、退軍を綏と名づく」という。疏に「『司馬法』に将軍は綏に死す。旧説に綏は却くなり」という。また『荀子・儒効篇』に「綏綏たり、その文章有るかな」とあり。註に「安泰の貌。あるいは葳蕤の貌とする」という。また州名。『広韻』に「春秋の時、白翟の居する所。秦、天下を幷せて上郡と為す。後魏、郡を廃して州を置き、綏徳県を取って名と為す」とある。また『集韻』に双隹切、音榱。毿は毛長き貌。一に狐の貌と曰う。または綏と作る。『詩経・衛風』に「狐有り、綏綏たり」とあり。伝に「匹行の貌」という。また『集韻』に儒佳切、音蕤。緌はまたは綏と作る。『詩経・大雅』に「淑旂綏章」とあり。伝に「大綏なり」という。疏に「綏とは、即ち交龍の旂の竿に建つる者なり」。『礼記・王制』に「諸侯、殺せば則ち小綏を下し、大夫、殺せば則ち佐車を止む」とあり。註に「綏は当に緌と為すべし。緌は有虞氏の旌旗なり」という。また『明堂位』に「夏后氏の綏」とあり。註に「綏は冠の蕤の蕤と読む」という。また『集韻』に思累切、音瀡。隋はまたは墮と作る。亦た綏と作る。尸の祭る所の肝脊黍稷の類なり。『儀礼・士虞礼』に「綏祭せず」とあり。註に「尸に事うるの礼、綏祭に始まる。綏は当に墮と為すべし」という。また『集韻』に呼恚切、音毀。義同じ。また『集韻』に吐火切、音妥。『礼記・曲礼』に「天子の器を執れば則ち衡を上げ、国君なれば則ち平衡し、大夫なれば則ち之を綏す」とあり。註に「綏は妥と読む。之を妥すと謂うは、心に下るを謂う」という。また「国君、綏視す」とあり。註に「国君を視ること弥も高し。妥視とは、視ること袷に止まるを謂う」という。また『集韻』に通回切、音推。妥はまたは綏と作り、安坐なり。考証:『説文』に「車中の把なり」。註に徐鍇曰く、「礼、升車して正立して綏を執る」。謹んで原註の「以正立」を「必正立」に改む。『儀礼・士冠礼』に「壻、婦に御して綏を授く」。謹んで原文の「婦」の字の下に「車」の字を増す。『礼記・王制』に「諸侯、殺せば則ち小綏を下し、大夫、殺せば則ち左車を止む」。謹んで原文の「左車」を「佐車」に改む。