康熙字典解説
康熙字典の原典を見る(第 352 ページ)
【寅集下】【广部】廱;康煕筆画:21;頁碼:352 頁 19 行。『広韻』『韻会』『正韻』に「於容切、音は雝」とある。『爾雅・釈訓』に「廱廱、和なり」とあり、また「辟廱」は学の名なり。『説文』に「天子、辟廱において饗飲す」とあり、『広韻』に「辟廱は天子の教宮なり」とある。『詩・大雅』に「楽しきかな辟廱」とあり、伝に「水、丘を巡ること璧のごときを辟廱と曰う」とある。『白虎通』に「辟廱は四面璧のごとく、水これを取り囲む。南方七里の内にして中に明堂を立てる。『月令論』に曰く、その宗廟の清きを取れば清廟と曰い、その正室の貌を取れば太廟と曰い、その堂を取れば明堂と曰い、その四門の学を取れば太学と曰い、その水の円璧を周るを取れば辟廱と曰う」とある。『三輔黄図』に「璧廱は璧の円なるがごとく、水をもってこれを囲み、教化の流行するに象る」とある。また『集韻』に「通じて雝に作る」とあり、『詩・周頌』に「彼的西雝に於いて」とある。また通じて雍に作る。『前漢・河間献王伝』に「三雍宮に対す」とあり、註に応劭曰く「辟雍・霊台・明堂なり。雍は和なり。天地・君臣・人民皆和すという」とある。また茨は一名を雞廱という。『荘子・庚桑楚』に「雞廱なり、豕零なり」とある。また雍県。亦た廱に作る。『前漢・百官表』に「廱、太宰・太祝の令・丞」とあり、註に師古曰く「五畤は廱に在り、故に特に太宰以下の諸官を設く」とある。また『集韻』に「壅に通ず」とあり、『前漢・五行志』に「成公五年、梁山崩れて河を廱ぎ、三日流れず」とあり、註に師古曰く「廱は読んで雍に曰う」。按ずるに『穀梁伝』は本に壅に作る。