康熙字典解説
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【未集下】【臣字部】臨;康熙筆画:17;頁碼:999
古文【唐韻】力尋切【集韻】【韻会】犁針切【正韻】犁沉切、音林。
【爾雅・釈詁】臨、視るなり。
【詩・衛風】日と月よ、下方の大地を照らせ。
また【大雅】上帝は汝を視たまう、二心あるなかれ。
【箋】臨、視るの義なり。
【礼・曲礼】諸侯に臨むには、鬼神に及ぶべし。
【疏】尊位をもって往くを臨と曰う。
【穀梁伝・哀公七年】『春秋』に天下を臨むの説あり、一国を臨むの説あり、一家を臨むの説あり。
【注】徐乾曰く、臨とは治むるの義なり。
また【博雅】臨、大なるの義なり。
また【戦国策】陰柔の手をもって撫すべく、燕をもって制すべし。
【注】臨、制するがごとき義なり。
また『易経』の卦名なり。
また車名なり。
【詩・大雅】汝の鉤援を用い、汝の臨衝をもって、崇国の城を攻めよ。
【伝】臨、臨車なり。
【疏】臨、上方より下方を俯瞰するの名なり。
【釈名】臨、字のごとく読む。韓詩は隆と作る。
また地名なり。
【左伝・哀公四年】荀寅は鮮虞に奔り、趙稷は臨に奔る。
【注】臨、晋の城邑なり。
また丘名なり。
【爾雅・釈丘】右に高きを臨丘と曰う。
また姓なり。
【後趙録】秦州刺史の臨深あり。
【孔融伝】臨孝存あり。
また門名なり。
【左思・呉都賦】左を彎崎と曰い、右を臨硎と曰う。
【注】彎崎・臨硎、宮門の名なり。呉の後主、昭明宮を造り、太初宮の東に彎崎・臨硎の二門を開く。彎崎は宮の東門、臨硎は宮の西門なり。
また【韻会】力鴆切【正韻】力禁切、音林去声。
【増韻】喪事における哭泣なり。
【顔師古説】衆人相共に哭するを臨と曰う。
【左伝・宣公十二年】楚子、鄭を囲むこと十七日。鄭人、和を卜すも吉ならず。太廟に臨み、かつ街巷に兵車を陳ぬるを卜せば吉なり。
【注】臨、哭泣の義なり。
【釈文】臨、力鴆切と読む。
また【韻補】盧東切に叶い、音隆なり。
【詩・大雅】后稷胜任せず、上帝来たりて顧みたまわず。下方の土地を壊す、何ぞ我をして遭逢せしむるや。
【司馬相如・長門賦】空言を捧げて誠を望むかな、城南の離宮に期す。簡素の飲食を設けて自ら陳ぬれど、君王幸いに臨みたまわず。
また力陽切に叶い、音良なり。
【秦始皇祠洛水歌】洛陽の水よ、色蒼々たり。大沢を祭り、忽然として南に臨む。洛水の辺に酒を洒ぎて祈る、光彩三光に連なる。
考証:【礼・檀弓】諸侯に臨み、鬼神に畛す。謹んで按ずるに、原書の檀弓は曲礼に改むべし。【司馬相如・長門賦】君肯わずして幸いに臨む。謹んで按ずるに、原文の兮は乎に改むべし。