【巳集中】【火部】烈;康熙筆画:10;頁碼:669 頁 16 行。古文にも「煭」と作る。『唐韻』・『正韻』は良辥切、『集韻』・『韻会』は力蘖切で、音は「列」に同じ。『説文解字』に「火勢の猛きなり」とあり。『玉篇』に「熾熱なり」とある。『尚書・胤征』に「天吏逸徳、烈于猛火」(天子の官吏徳を逸し、その害猛火より烈し)と見え、また『詩経・鄭風』に「火烈具挙」あり。『伝』に「烈は列なり」と釈し、『箋』に「衆人列をなして火炬を持ち共に挙ぐ、同心協力するを示す」と説く。また『爾雅・釈詁』に「烈は功業なり」とあり。『尚書・伊訓』に「伊尹乃ち明かに烈祖の成徳を言ふ」と見え、『伝』に「湯は功業ある先祖なれば、かく称す」と説く。また『詩経・小雅』に「烝衎烈祖」あり。『箋』に「烈は美なり」と釈す。また『爾雅・釈詁』に「烈は光明なり」とあり。『詩経・周頌』に「休有烈光」可见。また『爾雅・釈訓』に「烈烈は威武なり」とあり。『詩経・小雅』に「烈烈征師」見え、『箋』に「烈烈は威武の様なり」と説く。また『詩経・小雅』に「憂心烈烈」あり、『箋』に「烈烈は憂愁の様なり」と説く。また『詩経・小雅』に「南山烈烈」あり、『伝』に「烈烈は極めて艱難の様なり」と釈し、『疏』に「時に天気厳寒、南山の険峻高耸を見て服役の労苦を悲嘆し、ゆえに極めて艱難と感じる」と説く。また『爾雅・釈詁』に「烈は余り・遺留なり」とあり、『注』に「鄭地の方言にかく言う」と説く。『揚子・方言』に「晋・衛の方言も烈と言う」と見える。また『詩経・大雅・雲漢序』に「宣王厲王之烈を承く」とあり、『箋』に「烈は遺れる禍患なり」と釈す。また『孟子』に「于今為烈、如之何其受之」とあり、『注』に「今法令严明なるに、いかにしてその饋贈を受けんや」と説く。また『韻会』に「毒害なり」と釈す。『前漢書・公孫弘伝』に「湯の旱のごときは、すなわち桀の余烈なり」(湯の時の旱災はすなわち夏桀の遺せる禍害なり)と見える。また『戦国策』に「弦を聞く者、音烈にして高飛ぶ」とあり、『注』に「烈は猛烈なり」と釈す。また『揚子・方言』に「烈は暴虐なり」とあり。『史記・酷吏伝』に「皆酷烈を以て声とす」(皆残酷暴虐を以て名を成す)と見える。また『諡法』に「功績あり百姓を安んずるを烈と曰ひ、徳を秉じ功業に従うを烈と曰ふ」と定む。また『集韻』に「忠烈なり」と釈し、『韻会』に「剛強正直を烈と曰ふ」とあり。『史記・伯夷伝』に「烈士名に徇ず」、また『聶政伝』に「乃ち其れ亦た烈女なり」と見える。また『爾雅・釈草疏』に『本草』中、石芸味甘く、また「螫烈」と名づく」とあり。また『通典・兵制』に「五人を一烈とし、烈に頭目を置く」と見え、詳しくは「火」字の注に拠るべし。また姓なり。『拾遺記』に烈裔と名づくる者絵画に長じたと見える。また「裂」に通ず。『前漢書・王莽伝』に「軍人莽の身を分烈して支節す」(兵士ら王莽の身体四肢を分裂す)と見える。また『唐韻正』に古音は「例」と読むとあり。『詩経・豳風』に「一の日觱発、二の日栗烈。衣なく褐なし、いかにして歳を卒せん」と見え、『伝』に「栗烈は寒気なり」と釈す。また『詩経・大雅』に「載燔載烈、以て嗣歳を興す」とあり、『伝』に「肉を串に貫き火上架けて烤ぐを烈と曰ふ」と釈す。『楊戯・楊季休賛』に「征南厚重、征西忠克、時に士を選び、猛将の烈なり」と見え、『注』に「克は苦代反」と音す。按ずるに『字彙』此を引きて「葉音力質切」と言うは非なり。朱熹『詩経』の『七月』『生民』篇において「烈」字に皆「葉音力制反」と音す。『唐韻正』直ちに古音は「例」なりとす。所引の経伝子集資料甚だ詳らかにして明確なる拠り所あり、従うべきなり。また「厲」に通ず。『詩経・大雅』に「烈假不瑕」と見え、『釈文』に「烈」字、鄭玄本は「厲」に作り、音は力世反と読むとある。また『礼記・祭法』に「厲山氏の天下有つ」とあり、『注』に「厲山氏はすなわち炎帝なり。厲山に興り、あるいは烈山氏と称す。『魯語』は列山に作り、『左伝』は烈山に作る」と説く。『水経注』に賜水西流して厲郷の南を経、水の南に重山あり、すなわち烈山なり。山下に一洞穴あり、伝えて神農氏の生れし所となす。ゆえに『礼記』これを烈山氏と称すと見える。『唐韻正』に『荘子・斉物論』の「厲風済げば、則ち衆竅虚と為る」の「厲」はすなわち「烈」の字なりとある。また音は「頼」なり。『詩経・大雅・烈假』の注に見え、鄭虔かく読む。また「冽」に通ず。『詩経・小雅』に「有冽氿泉」と見え、『疏』に『七月』篇に「二の日栗冽」あれば、「冽」は寒気の意なりと説く。『説文解字』は元は「𤆍」に作り、列・烈の二字はもと「歺」旁に従いて「

」に作る。