康熙字典解説
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【戌集中】【阜字部】降;康煕筆画:14;頁碼:1349 頁 12 行目
古文は「夅」に作る。
『広韻』には「下江切」と音する。『集韻』『韻会』『正韻』には「胡江切」とし、音は「缸」に同じ。
『爾雅・釈詁』に曰く、「降」とは落つるなり。
『礼記・曲礼』に曰く、飛鳥の死を「降」と謂う。
『釈文』に音して曰く、降は「戸江反」と読む。
また『爾雅・釈言』に曰く、「降」とは下るなり。
『尚書・堯典』に曰く、(堯の二女)を嬀汭に釐降せしむ。
『禹貢』に曰く、桑土既に蠶す、厥民夷に降る。
また曰く、北に降水を過ぐ。
『水経注』に鄭玄の『尚書』「北に降水を過ぐ」を註するを引きて曰く、降は「下江反」と読み、音転じて「共」と為る。今河内の北に共山あり、淇水・共水ここに発し、東流して魏郡黎陽に至り、河に注ぐ。即ち近世所謂の降水なり。周時此に国を立つる者、「降」の字を悪みて、故に「共」と改称す。
また『玉篇』に曰く、降とは服従せしむるなり。
『春秋・荘公八年』に曰く、我が師と斉師と郕を囲む。郕、斉師に降る。
また『爾雅・釈天』に曰く、降婁は奎・婁なり。
註に曰く、奎は溝に象るが故に、之を降と謂う。
疏に曰く、孫炎曰く、降とは下の義なり。
『左伝・襄公三十年』に曰く、是歳歳星降婁に在り。降婁中にして旦る。
註に曰く、周暦七月、今の五月に当たり、降婁中にして旦るなり。
『釈文』に音して曰く、降は「戸江反」と読む。按ずるに、『集韻』『類篇』此の音を「絳」韻に入れ、「胡降切」とするのは非なり。
また『集韻』に曰く、乎攻切、音「𨸓」に同じ。
義は下なり。
また屈原『離騒』の句に曰く、朕は高陽の苗裔なり、皇考伯庸と名づく。摂提貞んずる孟陬に於いて、惟庚寅吾以降る。
註に曰く、降は「乎攻反」と読む。
班固『北征頌』の句に曰く、聖策を奉じ、鋭鋒を揮う。伊吾を陥れ、天山を凌ぎて遠く降す。
また『唐韻正』に曰く、古音は「洪」と読む。「降下」の降も「降服」の降も、皆平声と読む。故に漢以前には去声と読むもの無し。
『詩経・召南』の句に曰く、君子を見ず、憂心惙々たり。既に既に見、既に既に出遇えば、我心則ち降す。
また『詩経・大雅』の句に曰く、瑟たるは玉瓚、黄流其中。豈弟君子、福禄攸降。
また句に曰く、宗廟に饗す、福禄来降。公尸来燕、福禄来成。
『左伝・哀公二十六年』に曰く、六卿三族降聴す。
註に曰く、降とは和同の義なり。「和同」とは即ち「降」字を切ったるものにして、言語の緩急異なるのみ。
『楚辞・九歌』の句に曰く、霊煌々として降り、焱遠くして雲中に翔る。
また『天問』の句に曰く、射革而交、夫何宜に播降すや(「播降」は蕃衍昌盛を指す)。
按ずるに、「降下」の降は今去声と読むこと久しきに従えども、『唐韻正』明証を挙ぐ、宜しく之に従うべし。『類篇』に「降」字平声無きはその非なり。
また『唐韻』『集韻』『韻会』『正韻』に曰く、古巷切、音は「絳」に同じ。
『玉篇』に曰く、下の義、落の義、帰の義。
『正韻』に曰く、貶の義。
按ずるに、「降」を去声を以て正音と為すは、『玉篇』より始まる。
また葉韻して「胡郞切」と読み、音は「杭」に同じ。
『楚辞・九歌』の句に曰く、青雲を衣とし白霓を裳と為す。長矢を挙げて天狼を射、弧を操りて淪降に反る(「淪降」は降落を指す)。
東方朔『七諫』の句に曰く、忠臣貞くして諫めんと欲すれども、讒諛側にして謗る。秋草未だ実らざれば、微霜夜に降る。
また葉韻して「胡貢切」と読み、音は「鴻」の去声に同じ。
郭璞『山海経巫咸賛』の句に曰く、群巫十有、巫咸これを統ぶ。典技茲に備わり、方能茲に総ぶ。霊山に薬を採り、時に随って升降す。
北斉『享廟楽章』の句に曰く、彝樽時に用い、龍蒲席代わって陳ぬ。白茅藉きて咎無く、福禄乃ち降る。
また葉韻して「余亮切」と読み、音は「漾」に同じ。
習鑿歯『灯詩』の句に曰く、煌々たる夜の灯、脩々たる樹間の光。灯火風に耀き、風火共に昇降す。
また葉韻して「覃」韻に読む。
梁鴻『適呉詩』の句に曰く、旧邦を歴て遐征し、将に遠逝して東南に之かんとす。心怮々として悴み、思紆々として回惑す。策を駆りて騁ぜんと欲すれども、痛む哉我が郷に讒あるを。
按ずるに、諸韻書に「覃」韻に葉するの記載無し、存して考証を俟つ。