觀

発音KAN,MIRU
五行
吉凶
画数25 画

基本情報

発音 KAN,MIRU
五行
吉凶
部首
簡体画数 24 画
繁体画数 25 画

命名の意味

康熙字典解説

康熙字典の原典を見る(第 1138 ページ)
康熙字典の原典を見る(第 1138 ページ)
【酉集上】【見字部】觀;康熙筆画:25;頁碼:1138 頁 14 行目 古文。『唐韻』『集韻』『韻会』『正韻』に古玩切、官の去声とあり。『説文』に「仔細く見る」とあり。『韻会』に「観察する対象、示すこと」とあり。『易・観卦』に「偉大なる象は上に在り、順にしてかつ謙なり、中正を以て天下を観る」とあり。朱註に「観とは、中正を以て人に示して仰がしむるを謂う」とあり。『書・益稷』に「予は古人の象を見んと欲す」とあり。伝に「法象の服飾制度を観て示さんと欲す」とあり。観は旧読官、陸徳明は工喚切と音す。『周礼・冬官考工記』に「某氏量器を作る。量器成れば、以て四方の諸侯に示す」とあり。註に「以て四方に示し、之に倣って作らしむ」とあり。『前漢・宣帝紀』に「珍宝を示す」とあり。師古曰く「観は即ち示すなり」。また容観を指し、即ち容貌儀表なり。『礼・玉藻』に「冠帯を整え、容儀を習い、佩玉の音和して後に出づ」とあり。また『爾雅・釈詁』に「多きこと」とあり。『詩・周頌』に「長く多くの銍を見る」とあり。箋に「奄は長きこと。観は多きこと」とあり。又一つ読みは官なり。また『爾雅・釈宮』に「観を闕と謂う」とあり。註に「宮門両側の楼台」とあり。疏に「雉門の傍を観と謂い、また闕とも謂う」とあり。『白虎通』に「上に法令の象を懸け、形高大雄偉なるを象魏と謂う。人をして之を観しむる故に観と謂う」とあり。『三輔黄図』に「周は二観を設けて宮門を表す。登って遠望すべければ故に観と謂う」とあり。『左伝・僖公五年』に「君は朔日に告廟して聴政し、遂に観台に登り、雲気を望みてこれを録す。是れ礼に合す」とあり。註に「台上に屋を構え、遠望すべき建築」とあり。また『広韻』に楼観とあり。『韻会』に「道教の宮廟を観と謂う」とあり。『史記・封禅書』に「仙人は楼に住むことを好む。上は長安に蜚廉観・桂観を作り、甘泉に益延寿観を作る」とあり。また太子宮に甲観あり。『前漢・成帝紀』に「元帝太子宮に在りて、甲観画堂に生まる」とあり。また東観は漢代の秘書監なり。『後漢・安帝紀』に「詔して五経博士に東観にて五経伝記を校定せしむ」とあり。註に「洛陽南宮に東観あり。一名蓬観」とあり。また京観とは、敵の屍を積み上げて土を封じたる高塚なり。『左伝・宣公十二年』に「潘党曰く、君何ぞ営を築き晋軍の屍を集め、以て京観を為さざらんや」とあり。また『韻会』に「壮観・奇観とは、景緻壮丽、事奇特雄偉にして見るべき所あるを謂う」とあり。また『字彙補』に「また爟の義なり」とあり。『周礼・夏官・司爟』註に「今燕地の俗、熱水を観と謂う」とあり。また人名・国名に用いる。『竹書紀年』に「帝啓十年、季子武観を西河に放つ」とあり。註に「武観は即ち『楚語』の五観なり。観国は今頓丘衛県に在り」とあり。また県名・水名なり。『前漢・地理志』に「東郡に畔観県あり、膠東国に観陽県あり」とあり。応劭曰く「観水の北に在り」とあり。また姓なり。『楚語』に「楚の宝とする所に観射父という者あり」とあり。また館に通ず。『文選・司馬相如・上林賦』に「霊圉は閒館に安処す」とあり。また「宮館を空しくして実めしめず」とあり。『史記』『漢書』みな観と作る。また鸛に通ず。『荘子・寓言篇』に「雀蚊虻の過ぐるところを観るが若し」とあり。また『広韻』『集韻』に古丸切、『韻会』『正韻』に沽歓切、音官とあり。『博雅』に「見るの義」とあり。『正字通』に「遠く見る・上を見て観と謂い、近く見る・下見て臨と謂う」とあり。『易・観卦』初六の爻に「童観の如し」とあり。朱子曰く「卦は示すを義とし、爻は見るを義とす」とあり。『書・盤庚』に「予が汝らを視ることは火を観るが如く明なり」とあり。伝に「我汝らの状を見ること火を観るが如く明なり」とあり。鄭康成は去声に読む。『穀梁伝・隠公五年』に「魯隠公棠において魚を観る」とあり。伝に「常事を視と謂い、非常を観と謂う」とあり。『関尹子・二柱篇』に「愛は我が精、観は我が神なり。愛は水、観は火なり。愛執して観すれば合して木となり、観存して愛すれば収めて金となる」とあり。また遊覧の義なり。『孟子』に「予いかにして先王の遊に比せんや」とあり。また占視の義なり。『史記・天官書』に「潢を観る」とあり。晋灼曰く「観は即ち占視なり。潢は五帝の車舎なり」とあり。また顕現の義に同じ。『前漢・厳安伝』に「以て天下に慾を示す」とあり。師古曰く「之に示して羨慕せしむ」とあり。また『韻会小補』に区願切、音勧とあり。『礼・緇衣』に「昔上帝、詳らかに文王の徳を観て勸む」とあり。註に「『周田観』は古文には『割申勧』と作る」とあり。陸徳明『釈文』に「観。註に従い勧と読む」とあり。また古黄切に叶い、音光と読む。『汲冢周書』に「師曠無射を歌って曰く、国誠に寧んじ、遠人来りて観る。道義修まりて常となり、楽を好んで事を廃せず」とあり。また規倫切に叶い、音均と読む。『前漢・高彪詩』に「正道に背き権貴に附し、また見るべき所なし。先公の高節、まさに永く遵ふべし」とあり。また居員切に叶い、音涓と読む。『傅毅・七激』に「深奥を究め同類を窮めて、広く観ざる所なし。光潤美好、世人その言を尊ぶ」とあり。また扃県切に叶い、涓の去声と読む。『揚雄・甘泉賦』に「大厦雲波の如く屈曲詭変し、衆材を集めて観を成す。仰いで高く観るかな、目眩みて見る所なし」とあり。また『詩・小雅』に「彼鮊彼鰋、挙げて観れば実に多し」とあり。箋に「観は多きの義」とあり。『韓詩』は覩と作る。考証:また掌与切に叶い、音煮と読む。『詩・小雅』に「彼鮊彼鰋、挙げて観れば実に多し」とあり。箋に「観は多きの義」とあり。『韓詩』は覩と作る。朱註に「観は鱮と韻を協す。鱮は音湑」とあり。謹んで按ずるに、「観は鱮と韻を協す」という句は朱註に無し。掌与切に叶うは「者」字の音にして「観」字の音に非ず。謹んで改むるに、また『詩・小雅』に「彼鮊彼鰋、挙げて観れば実に多し」とあり。箋に「多きの義」とあり。『韓詩』は覩と作る。

💡 康熙字典現代語版

扫码使用更多功能

康熙字典小程序

康熙字典小程序