禫

発音TAN DON,MATSURI
画数17 画

基本情報

発音 TAN DON,MATSURI
五行 0
吉凶
部首
簡体画数 16 画
繁体画数 17 画

命名の意味

康熙字典解説

康熙字典の原典を見る(第 846 ページ)
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【午集下】【示部】禫;康煕筆画:17;頁碼:846 頁 37 行。【唐韻】【集韻】【韻会】【正韻】徒感切、覃の上声。服を除く祭の名。【礼・間伝】父母の喪、期して小祥し、又期して大祥し、中月にして禫す。【疏】中とは間なり。大祥の後、更に一月を隔てて禫祭を行う。これ第二十七月なり。【釈名】禫は孝子の心にして、哀傷思念之情漸く淡薄になるを指す。祥祭と禫祭について、鄭康成は異月に之を行うべしとし、王粛は同月に之を行うべしとす。今『礼』の文献を総覧するに、『檀弓』に曰く、孔子、祥の後、五日にして琴を弾ずるも未だ調を成さず、十日にして始めて笙を吹き歌うを得たりと。又、魯人に朝に祥を行い暮に歌う者あり。孔子曰く、一月を隔つて乃ち可なりと。又曰く、祥の後白服を着け、この月に禫を行い、一月を経て乃ち楽を奏すべしと。『喪服四制』に曰く、祥の日に飾りなき琴を弾ずべしと。『三年問』に曰く、三年の喪、二十五月にして畢ると。然れば王粛の説、拠る所あり。『士虞礼』『間伝』皆「中月にして禫す」というは、禫祭が祥祭の月の内にあるを指す。たとえ喪事に予め忌むべき日ありて、祥祭が下旬に行われることあっても、祥の後直ちに禫を行うとも、なお「中月」と称するを妨げず。鄭康成は特に『喪服小記』の「中一以上」と『学記』の「中年考校」の二処の文に拠り、「中」を間隔と解して、遂に二十七月と定めたれども、実に経典に合せず。然れども先儒司馬光・朱熹も王粛の説の是なるを知りながら、敢えて公然之を正さざりしは、父母の喪には寧ろ礼を重んずべきこと、かつこの制度久しく相沿いて、驟かに改むることを許さざるが故なり。又「澹」に同じ。【荀子・非十二子篇】その辞を種禫す。

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