康熙字典解説
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【亥集下】【鼎部】鼎;康煕筆画:13;頁碼:頁 1525 第 08
古文は「鼑」と書く。
【唐韻】【集韻】【韻会】都挺切、音は「頂」に同じ。
【説文解字】鼎は三足両耳にして、五味を和する宝器なり。昔、禹が九州の牧貢ぎたる金属を集め、荊山の下に鋳て鼎を作れり。
【玉篇】鼎は熟物を煮るの器なり。
【左伝・宣公三年】昔、夏の世徳有らんとき、遠方の万物の象を図し、九州の牧金属を貢ぎて鼎を鋳ち、その象を鼎に著せり。百物これにより備わり、民に神姦を知らしむ。故に民川沢山林に入りても不若に逢わず、螭魅罔两も能く之に触るることなし。
【周礼・天官・膳夫】王は日一挙して牲を殺し盛饌とし、鼎十二を用い、皆俎に載す。
【鄭玄注】鼎十二あり、その内牢鼎九(牛・羊・豕等の牲を盛る)、陪鼎三(加饌を盛る)なり。
また、『周易』の卦名なり。巽を下にし離を上にする卦(すなわち火風鼎の卦)を指す。
また、【正韻】に曰く、鼎は「当」の義あり。
また「方」「正」の義あり。
【前漢書・賈誼伝】天子まさに壮年なり。
また「鼎鼎」とは、大いに舒泰なる様なり。
【礼記・檀弓】喪事に当たりて大いに舒泰なるは、小人なり。
【疏】形体容貌の寛舒軽慢なるを指す。
また「周鼎」とは星宿の名なり。【歩天歌】に見えたり。
また湖の名あり。
【史記・封禅書】黄帝荊山に鼎を鋳ち、後世ゆえにその地を鼎湖と名づく。
また州の名あり。宋の朗州を改めて鼎州と名く。
また城門の名あり。
【後漢書・郡国志】洛陽東城門を鼎門と曰う。
【注】九鼎後に入るところの門なり。
また船を繋ぐを「鼎」と曰う。
【揚子・方言】繋ぐを鼎と曰う。
また官名あり。
【前漢書・東方朔伝】夏育鼎官たり。
【注】鼎官とは、今殿前にて鼎を挙ぐる者なり。
また姓あり。未将という人、鼎澧と名づく。
また人名あり。
【西京雑記】「鼎」は匡衡の幼名なり。
また、【前漢書・匡衡伝注】張晏曰く、匡衡幼にして字を鼎とし、長じて初めて稚圭と改む。世に伝うる匡衡が貢禹に与うる書、首に「衡状報」とあり、末に「匡鼎白」とある。これにより鼎がその字なるを知る。
【又】(詩句)「説くこと無く詩を匡鼎来たる」。
【注】服虔曰く、鼎は「当」に同じ、まるで匡衡暫く来たるが如しと。按ずるに、服虔の注は誤りなり。
また、【前漢書・賈捐之伝】賈捐之又た石顕を誹る。楊興曰く、石顕まさに貴き位に在りと。
【注】如淳曰く、まさに貴くならんとするの意なり。「鼎」の音は「釘」に同じ。顔師古曰く、本字の音に従うべし。
また、葉音は他経切、音は「汀」に同じ。
【左思・呉都賦】精粋は耀霊の如く、声勢は雷霆の如し。名は山海経に記載され、形は夏鼎に勒さる。
考証:【周礼・天官・膳夫】「王旦挙」。謹んで按ずるに、「旦」の字は「日一」の二字の訛なり。謹んで原文に照らし「王日一挙」と改む。