【子集下】【刀部】刺;康煕筆画:8;頁碼:139 頁 13 行目
『唐韻』『集韻』『韻会』に「七賜切」と注音され、『正韻』に「七四切」と注音され、去声で読む。
『説文解字』に曰く、刺とは直ちに傷つけることなり。字形は「刀」と「束」より成る。
『爾雅・釈詁』に曰く、刺とは殺すことなり。
『春秋・僖公二十八年』に載す、公子買は衛を戍守せしむも、その任を果たさず、遂に刺殺されたり。
『公羊伝』に曰く、刺とは何ぞや。曰く、殺すなり。
また『儀礼・士相見礼』に載す、庶人は自らを「刺草の臣」と称す。
『注』に曰く、刺とは除草のごとき意味なり。
また『前漢書・郊祀志』に載す、六経より取りて王制を編む。
『注』に曰く、刺とは取り選ぶこと、採用することなり。
また『広韻』に曰く、針刺し。針をもって物を縫うを刺と謂う。
また『韻会』に曰く、荊棘の尖芒なり。
また『釈名』に曰く、姓名を奏章または名帖に記すを刺と謂う。
『後漢書・禰衡伝』に載す、建安初年、禰衡は洛陽一帯を遊歴し、初めて潁川に至りし時、懐中に名帖を蔵せしも、後に投ずべき所なく、ついに帖上の字すり減じて消え失せたり。
また『詩経・大雅』の句に曰く、天何ぞ罰を下すや。
『毛伝』に曰く、刺とは責むることなり。
また『周礼・秋官』に載す、司刺は三つの刺探審問の法を掌る。一には衆吏に問い、二には衆臣に問い、三には百姓に問う。
『注』に曰く、刺とは審問して決断することなり。
また刺史は官職の名なり。
『韻会』に載す、汉武帝初めて刺史を置き、詔を奉じて諸州を監察せしむ。成帝の時、州牧と改め、哀帝の時、再び刺史と復す。
また『唐韻』『集韻』『韻会』『正韻』に「七跡切」と注音され、音「磧」に似たり。意味は穿透し、傷つけることなり。
『増韻』に曰く、刃をもって刺し殺すことなり。
『孟子』に曰く、人を刺し殺して死に至らしむ。
また針線をもって縫うことを指す。
『史記・貨殖列伝』に曰く、刺繍の紋をなすは、市井の門に倚って生計を立てるに如かず。
また密かに偵察することを指す。
『前漢書・燕王旦伝』に載す、燕王劉旦は親信の大臣を長安に遣わして礼儀を問い、ひそかに朝廷の事を偵察せしむ。
また『韻会』に曰く、墨刑(顔に字を刺す)なり。
また舟を櫓で漕ぐことを指す。
『史記・陳平世家』に載す、陳平ここに舟を漕いで去れり。
『韓愈の詩』に曰く、湍急なる流水忽然として舟を漕ぎ過ぐべし。
また「刺刺」とは、言葉多きさまを形容す。
『管子・心術篇』に曰く、いかにして刺刺不休なるを除きて黙寡言となさんや。
『韓愈・送殷員外序』に曰く、繰り返し婢女に叮嚀し、言葉絮々として止まらず。
また音「七計切」、音「砌」に似たり。
『詩経・魏風』の句に曰く、まさに心胸狭きがゆえに、詩を作って諷す。
『集韻』に載す、俗に「

」と書く。
『韻会』に載す、字形は「朿」と「刀」より成る。俗に「刺」と書くは誤りなり。「剌」は音「辣」なり。