康熙字典解説
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【辰集下】【止字部】武;康熙筆画:8;頁碼:575 頁 09 行。【唐韻】文甫切。【集韻】【韻会】罔甫切。音は舞。【玉篇】健なり。一に曰く威なり、断なり。【書・大禹謨】乃ち武なり乃ち文なり。又【伊訓】聖武を布昭す。又【左伝・宣公十二年】楚子曰く、戈を止むるを武と為す。又云く、夫れ武とは、暴を禁じ兵を戢め、大を保ち功を定め、民を安んじ衆和し、財を豊かにする者なり。武に七徳あり。又諡法の一。【汲冢周書】剛彊にして理直なるを武と曰い、威彊にして叡徳なるを武と曰い、禍乱を克定するを武と曰い、民服するを武と曰い、志を誇り窮する多きを武と曰う。又周の楽名。【前漢・礼楽志】武王、武を作す。武とは、功を以て天下を定むるを言うなり。又【礼・楽記】初めて文を奏し、復た乱れて武す。【鄭注】文は鼓を謂い、武は金を謂う。【疏】金は西方に属し、兵刃と為すべければ、故に武と為す。鼓は衆音を発動するを主とし、兵器の用無し、故に文と為す。又迹なり。【詩・大雅】帝の武を履みて敏に歆ず。【礼・曲礼】堂上は武を接し、堂下は武を布く。又【礼・曲礼】牛を一元大武と曰う。【疏】牛肥えれば則ち迹大なり。又【爾雅・釈詁】武、継ぎなり。【詩・大雅】下に武惟だ周あり。【箋】后人先祖を継ぐ能うる者は、惟だ周のみ有りと言うなり。又冠の巻を武と曰う。【礼・玉藻】縞冠の武、居冠は武に属す。又【雑記】委武。【注】秦人は委と曰い、斉東は武と曰う。又冠名。【蔡邕・独断】武冠、或いは繁冠と曰い、今これを大冠と謂い、武官これを着す。又水名。【前漢・地理志】東郡に東武陽県あり。【応劭曰く】武水の陽なり。又泰山郡に南武陽県あり、武水の出づる所にして、南して泗に入る。又関名。【地理通釈】【左伝・哀公四年】に、楚人北を謀り、方ら少習に通じて命を聴かんとす。【杜注】少習は商県の武関なり。【輿地広記】に、商洛県の東に少習あり、秦は之を武関と謂う。【賈誼・新書】に所謂く武関・函谷・臨晋関を建つる者は、大抵山東の諸侯に備うる為なり。又武都、州名。【広韻】本は白馬氐の地より出で、魏の文帝武都郡を美陽に移す。今の好畤県の界、武都古城是れなり。後漢仇池山を平らげて城を築き、武都鎮を置く。即ち今の州是れなり。又【地理通釈】唐の大中五年、原州の蕭関を以て武州を置く。又広武、山名。滎陽に在り。【前漢・項籍伝】羽と漢王広武に臨み、閒として語る。又県名、太原郡に属す。又修武・陽武・原武、皆河内郡に属す。又霊武、今の陝西環県なり。唐の粛宗此に即位す。又湖名。【広輿記】黄州府黄陂県に在り。伝に曰く黄祖射を習う処なり。又渓名。亦山名。【広輿記】辰州府盧渓県に在り。馬援の門生笛を吹くを善とし、援歌を作って之に和して曰く、滔滔たる武溪いかにぞ深き、即ち此れなり。又武山、亦盧渓県に在り。又真武、湖名。【六朝事跡】呉の後主宝鼎元年、城北の渠を開き、後湖水を引きて新宮に流入せしむ。今城北十三里に古池あり、俗に後湖と呼ぶ是れなり。又星名。【夢渓筆談】北方の真武七宿、東井に起り角に終る。又武は北方七宿なり。【礼・曲礼】前に朱雀し後に武す。又姓。【広韻】【風俗通】に云く、宋の武功の後なり。漢に武臣あり。又漢の複姓六氏。漢に乗黄令の武安恭あり、武安君白起の後より出づ。【風俗通】に云く、漢の武強侯王梁、其の後封に因りて氏と為す。【世本】に云く、夏時に武羅国あり、其の後氏焉。【何氏姓苑】に広武氏・武成氏・武仲氏あり。又【西秦録】に武都氏あり。又珷と通ず。石の玉に似る者。【史記・司馬相如伝】瓀石武夫。又【正韻】微夫切。無と通ず。【礼・礼器】周は尸に坐し、詔侑武方す。【鄭注】武は無と読む。考証:【汲冢周書】剛彊直理を武と曰う。謹んで【逸周書】及び【北史】于忠伝に照らし、直理を理直に改む。【広韻】本は白馬元の地より出づ。謹んで原文に照らし、元を氐に改む。