【卯集上】【心部】惄;康煕筆画:12;頁碼:389 頁下段 29 行
古文献に曰く:『唐韻』は奴歴切と注音し、『集韻』『韻会』は乃歴切と注音して、音「溺」に似たり。『説文解字』は「飢え」と釈す。字形は「心」を部首とし、「叔」を声旁とす。別に「憂い」との釈もあり。『詩経・周南』に「惄如調飢」とあり。『毛伝』の注に曰く:惄とは飢えの感じなり。李巡さらに釈して曰く:長く食せざるによる飢えの感じなり。『鄭玄箋』は惄を「思慕」と釈す。『爾雅疏』は怨みて得ざることによる思慕と釈す。『正義』補って曰く:惄は飢えの状態にあらずして飢えの感じを指す。故に『毛伝』は「飢意」と言い、『鄭玄箋』は「思」と釈すれども、両義は互いに関連す。『詩経・小雅』に「惄焉如搗」とあり。ここには飢えの義なく、ゆえに『鄭玄箋』は専ら思慕と釈すのみ。
また、『集韻』にこの字時に「

」と作ると記す。『韓詩』では「愵」と作る。『五音集韻』もまた「

」と作り、あるいは「南」と作る者あり。『梁文帝詩』に「南音悲南弄」と一句あり。前の「南」は本音を読み、後の「南」は音「惄」に同じ。
さらに、『集韻』に別の読みとして奴沃切あり、音「傉」に似たり。その義同じ。