康熙字典解説
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【辰集中】【木部】柳。康煕筆画 9、頁碼 521-02。古文に丣と作る。【唐韻】【集韻】【韻会】【正韻】に力九切、留の上声とあり。【説文】に「小楊なり。本は桺と作る。木に従ひ丣を声とす」とある。【埤雅】に「柔脆にして生じやすく、楊と同類なり。縦横顛倒して植ゑても皆生ず」とあり。また柳谷とは日の入る処なり。【書・堯典】に「宅西を昧谷と曰ふ」とあり。徐広云ふ「柳谷なり」。【宋祁筆記】に「古文の卯は本は柳字なり、後に借りて辰卯の卯と為す。北は本は別字なり、後に借りて西北の北と為す。虞翻は鄭元が古文を識らずして卯を昧とし、北を訓じて【北は猶ほ別のごときなり】とせるを笑へり」とある。また星名なり。【爾雅・釈天】に「咮を柳と謂ふ」とあり。また車なり。服虔曰く「東郡は広轍の車を柳と謂ふ」。李奇曰く「大牛車を柳と謂ふ」。鄧展曰く「喪車を柳と謂ふ」。また【爾雅・釈楽】に「宮を重と謂ひ、商を敏と謂ひ、角を経と謂ひ、徴を迭と謂ひ、羽を柳と謂ふ」とあり。また侯国の名なり。【前漢・地理志】に渤海郡に属すとあり。また姓なり。【姓譜】に「魯の子展の後、柳に食邑し、遂に以て氏と為す」とある。按ずるに楊柳は一物にして二種なり。【毛詩】之を分ちて言ふ者は、【斉風】の「柳を折りて圃を樊ぐ」、【陳風】の「東門の楊」是れなり。之を合せて言ふ者は、【小雅】の「楊柳依依」是れなり。【本草】に云ふ「楊の枝は硬くして揚がる、故に楊と謂ふ。柳の枝は弱くして垂れ流る、故に柳と謂ふ」。【正字通】古诗に拠りて「南楊北柳」と分ちて二つと為すは非なり。