康熙字典解説
康熙字典の原典を見る(第 473 ページ)
【卯集下】【攴部】敦;康熙筆画:12;頁碼:473 頁 08 行
古文【広韻】【集韻】都昆切、音は墩。【説文】に「作す。怒るなり、誹るなり」とあり。一説に「誰何するなり」という。
また【五経文字】に「敦、厚し」とあり。【易・臨卦】に「敦臨吉」とあり。【疏】に「厚し」とある。
また【詩・邶風】に「王事敦我」とあり。【釈文】に韓詩は云う「敦、迫るなり」。鄭は都回反、猶お投擲するがごとし。
また【爾雅・釈詁】に「敦、勉む」とあり。【疏】に「敦とは、厚く相勉むるなり」とある。【前漢・揚雄伝】に「衆神を敦めて道に式らしむ」とあり。【注】に師古曰く「敦、勉むるなり」。
また【爾雅・釈天】に「太歳午に在るを敦牂と曰う」とあり。【史記・暦書注】に「敦、盛んなり」とある。
また【揚子・方言】に「敦、大なり」とある。
また姓なり。【広韻】に「敦洽、衛の醜人なり」とある。
また【広韻】【集韻】【韻会】【正韻】に都回切、音は堆。【詩・豳風】に「彼独宿に敦し」とあり。【伝】に「敦敦然として独宿するなり」とある。
また【詩・魯頌】に「商の旅を敦む」とあり。【箋】に「敦、治む」とある。
また【荘子・説剣篇】に「今日試みに士をして剣を敦ましむ」とあり。【注】に「敦、断つ」とある。
また【広韻】に度官切、【集韻】【韻会】【正韻】に徒官切、音は団。【詩・豳風】に「瓜苦敦し有り」とあり。【伝】に「敦、猶お専専たるがごとし」とある。【疏】に「敦とは瓜蔓に繋がる貌にして、瓜蔓に繋がり専専然たるを言う」とあり。【釈文】に徒丹反。【朱伝】に音は堆。
また【詩・大雅】に「行苇に敦し」とあり。【伝】に「聚まる貌」とある。【釈文】に徒端反。
また【集韻】に徒渾切、音は屯。【詩・大雅】に「淮濆に鋪敦す」とあり。【箋】に「当に屯に作るべし」とある。【揚雄・甘泉賦】に「万騎を中営に敦む」とあり。【注】に「敦は屯と同じ。陳ぬるなり」とある。
また【類篇】に「敦煌、郡名」とある。
また【集韻】【韻会】に丁聊切、音は彫。【詩・大雅】に「敦弓既に堅し」とあり。【伝】に「敦弓は画弓なり。天子の敦弓は音は彫」とある。【疏】に「敦と彫とは古今の異なり」とある。
また【詩・周頌】に「其の旅を敦琢す」とあり。【疏】に「敦と彫とは古今字なり」とある。【朱伝】に音は堆。
また【集韻】に都内切、音は対。【儀礼・士昏礼】に「黍稷四敦皆蓋う」とあり。【礼・明堂位】に「有虞氏の両敦」とあり。【注】に「敦は音対。黍稷の器」とある。【疏】に「敦は瑚璉簠簋連方に与り、故に黍稷の器と云う」とある。
また【周礼・天官・玉府】に「若し諸侯を合すれば、則ち珠槃玉敦を共す」とあり。【注】に「敦は槃の類、古者は槃以て血を盛り、敦以て食を盛る」とある。
また【集韻】に大到切、音は道。幬、或いは敦に作る。覆うなり。【周礼・春官・司几筵】に「毎敦一几」とあり。【注】に「敦は読んで焘と曰う。覆うなり」とある。
また【集韻】に杜皓切、音は稲。また留切、音は儔。義同じ。
また【集韻】【正韻】に杜本切、音は盾。【左伝・文公十八年】に「天下の民之を渾敦と謂う」とあり。【注】に「驩兜渾敦を謂い、開通せざる貌」とある。【疏】に「混沌と渾敦とは字の異なるのみ」とある。
また【広韻】【集韻】【韻会】【正韻】に都困切。通じて頓に作る。【爾雅・釈丘】に「丘一成を敦丘と為す」とあり。【疏】に「詩衛風氓篇『頓丘に至る』是れなり」とある。
また【爾雅・釈天】に「太歳子に在るを困敦と曰う」とあり。【注】に「敦、音は頓」とある。【史記・暦書注】に「困敦、混沌なり」とある。
また【荘子・列御寇】に「杖を敦して之を蹙む」とあり。【音義】に「敦、音は頓。司馬云う『竖つ』」とある。
また【集韻】に主尹切、音は準。淳、或いは敦に作る。【周礼・天官・内宰】に「其の度量淳制を出す」とあり。【注】に「故書淳を敦と為す。杜子春敦を読んで純と為す。純とは幅広きを謂う」とある。
また【集韻】に他昆切。憞、或いは省いて敦に作る。憞とは恨心明らかならざるなり。
また【韻補】に都鈞切に叶う。【崔瑗・南陽文学頌】に「我が国既に淳なり、我が俗既に敦し」とある。
また亭年切に叶う。【蘇軾・同安郡夫人を祭る文】に「嗣いで兄弟と為るも、君の賢に如くは莫し。婦職既に備わり、母儀甚だ敦し」とある。
考証:【周礼・天官・王府】原文に謹みて王府を玉府に改む。